どうも。
ゴールドコーストにきてまだ8月ですが、私は仕事探しを諦めました。
その経緯について今日はお話しします。
レジュメ配りが面倒になった
これは私のただの感想です。
ゴールドコースト用にレジュメ(履歴書)を書き直し、町の図書館で印刷して、配っていましたが正直うんざりしました。
レジュメ配りが基本的に宝くじ戦法です。
いつかは見つかるという考え方で計画性が無い状態の中ただレジュメ配りをすることに限界を感じました。
その結果、無計画なレジュメ配りは避け、ガムツリーや日豪プレスの仕事探しサイトで職探しすることにしました。
そして、自分に合った仕事にアプライ(申し込み)をし、レジュメをデータごとメールで送るか求人のあるお店に出向いてレジュメを直接渡す方法をとることにしました。
日本食レストランで面談することが決定した
日豪プレスで求人を見つけた私は、メールで求人を応募し、面談することになりました。
日本食レストランで仕事を本当はしたくありませんでした。
けれど、私の英語力ではどうしようもなかったことと、地元の仕事(ローカルジョブ)はどうしても経験値が必要であり応募することすらできなかった。
そのため、生きていくために好き嫌いはできないと考え、日本食レストランの仕事に応募しました。
私はワーキングホリデーの残りの期間ゴールドコーストからは離れないことと就労ビザがほしいと先方に伝えました。
これは私に残された手段でした。
ワーホリ勢は基本的にすぐに別の場所へ移動するものです。
ですので、長期間仕事をしてくれる人をお店側は欲しています。
私はゴールドコーストにきたとき、「ここがゴールだ」と直感で理解しました。
ケアンズのシェアメイトのジーンとオンからはオーストラリアの西の沿岸部にあるパースをすすめられましたが、私はゴールドコーストが気に入ってしまい、もう動くつもりはありませんでした。
また、セカンドビザを手に入れる資格が私にはないため、就労ビザが手に入るなら手にしたいと本気で思っていました。
そのお店は能力次第では就労ビザを出してくれると言っていたので、個人的にはかなりの好条件でした。
実際に面談した結果
日本食レストランでの面談は30分くらいで終わりました。朝の10時頃にスタートしました。
まず、私に料理経験がないことがネックになりました。
正直ろくに包丁も使えないことは周知の事実です。
また、年齢も30歳を等に超えていたこともありました。
それとは別に、問題もありました。
まず、このお店は掃除や練習期間を1か月以上しなければなりません。
試用期間的なことです。
この期間中はキャッシュジョブ(直接お金を手渡す)でしかも時給は14ドル。
ワーホリ勢の基本的な時給は23ドル以上というルールをさっそく破っています。
もちろん、試用期間中に給料を渡すリスクは理解していますが、ルール違反はルール違反です。
仮に、仕事をこなせるようになったとしても時給は19ドルとなり、結局ルール違反。
ですが、私個人としてはあまり気にしていませんでした。
生活できるならいいや! と言う感じです。
ゴールドコーストでぜいたくな生活をするつもりはありませんでしたから。
ですが、問題は職場の雰囲気です。
職場は全員日本人で、日本色にまみれた世界でした。
これが私は嫌でした。
ブラック企業とはいいませんが、雰囲気がかなり悪かったことを覚えています。
精神をすり減らして働いている従業員たちのオーラに恐怖を覚えました。
面談自体は無事に終了しました。
私は仕事がほしいという気持ちとは別に、働きたくないというニート精神もあり、何とも言えない精神状態でした。
そして、結果は不採用でした。
けれど、私はまったく落ち込みませんでした。
あの日本人特有の職人的雰囲気の職場では絶対に働きたくない、その覚悟が私にはない。
そして・・・・
色々なことがあり、私はこのままでは働けない。仮に職場を見つけても長続きしないと気づきました。
だから、私は仕事探しを諦めました。
その結果、私がたどり着いた結論は、ウーバーイーツの配達員になることでした。
次の投稿でウーバーイーツ配達員になった経緯について語っていきます。
今日はここまでにします。
ご視聴ありがとうございました。
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