私がオーストラリアのワーホリで後悔したこと⑤  英語が出来ず、悔しい思いをした

どうも。

 今日午前中海水浴を満喫して、午後眠ってしまい、ちょうど今起きてブログを書いている野川太郎です。

 海水浴の話はまたの機会に投稿する予定です。

 今日はオーストラリアのワーホリで英語ができなかったことで一体何を損するかについて話していきます。

 まず、語学学校で英語が出来なかった場合についてのデメリットをお話しします。

①一番下のクラスに底辺の授業を受けざるを得なくなる

 今も昔のリスニングは苦手な私です。文法等の問題はほとんど理解することができましたが、音で英語を理解する、人の意思を理解することが本当に苦手です。

 そのため、一番下のクラスに堕ち、中学一年生レベルの英語を勉強させられることになりました。

 宿題もbe動詞の使い方ばかりで、復習にもならない。また、日本人も多いし、屈辱的な思いをしました。

 もちろん、そこでの出会いもあったので、全否定することはできません。

 もし、日本人の少ないクラスや授業を受けたければ、上位のクラスに入るしかありません。ですので、事前の準備は本当に大切です。

②英語が出来なことに対する不安と甘え

 英語ができないと常に不安が付きまといます。それは行動に対して制限がかかることにもつながります。英語ができなくても何とかなる!っという精神に持ち主なら問題ないでしょうが、私のような弱い人間はその不安に負けてしまいます。

 不安は同時に甘えにもつながります。

 オーストラリアにきていろいろなことに挑戦しようと思っていましたが、計画通りにうまくいきませんでした。

 家に引きこもることもありましたし、ツアーに参加することにも消極的でした。不安と向き合わず、オーストラリアの環境に甘えてだらけてしまった。

 私の心の弱さが英語が出来ないという不安に付け込まれました。

 けれど、言葉の分からない世界に向き合った経験を私は後悔していません。それはそれでよかったのかもしれません。英語ができない私だからこそ、そこで多くの人と知り合うことができました。

 まあ、完璧な人生はありません。英語ができなかったことは後悔しましたが、ワーホリをしたことは本当に良かったです。年齢制限ギリギリの選択は間違っていなかった(真理)

③多国籍の人々との意思疎通が取れない

 これが一番悔しかったことです。シェアハウスの香港人カップルと会話するとき、どちらも片言の英語ですが、彼らの方が圧倒的に英語はできます。ですので、何か聞いたり、会話をしたりしたくての英語が出てこない。また、彼らからの英語も私が理解できないことも多々ありました。

 外国人と外国で意思疎通を図ることは大いに価値があることだと私は思います。けれど、英語ができなければ意思疎通は難しい。そして、同時にもったいない。

 観光や外食をしなかったことより、こちらの方がよっぽど後悔したことです。

 ケアンズからゴールドコーストに移ってからも英語の壁は大きかった。

 シェアメイトたちは私に気を使って簡単な英語だけで私に意思疎通をしてくれていました。スロベニア人のヴェロニカと中国人のハンが会話をしているところに出くわした時、二人の英語力がネイティブ並みのスピードと文の長さでした。

 私はこの会話に入れないんだなぁ~と寂しい思いもしました。

 ヴェロニカとヘクターと3人で出かけた時も、二人の英語力についていけず、英語コミュ障になり、喋れない状態に恐怖していました。

 総括すると、

 英語はできるに越したことはない。これは真理です。英語ができれば、より多くの人と意思疎通の機会が増えますし、新たな価値観を発見する機会も増えます。けれど、英語ができないことをすべての原因にしてはいけません。

 英語ができなくてのワーホリを楽しむ人の大勢いますし、英語ができてもうまくいかない人だっています。

 私の場合は英語と性格の両方に原因がありました。仮に英語ができたとしても結末は変わらなかったかもしれません。

 結局、後はその人自身です!

 今日は以上です。ご視聴ありがとうございます。

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