どうも。
無事語学学校を卒業した野川太郎です。
今日は語学学校の卒業式までに起こった出来事、その後の出来事を語っていきます。
ケアンズでの仕事探し
4月から始まった語学学校での生活は6月末に終了します。
卒業後は当然仕事を探さなけばなりません。
7月から9月の時期はオーストラリアでは冬の季節です。
そのため、この時期でのケアンズの仕事探しは難航します。
卒業する時期に向けて、私はレジュメ(履歴書)を作成して各店に配ることをしていました。
私はパソコンは持っていましたが、印刷機がありません。
ですので、語学学校の受付でお金を払って自作したレジュメを何枚か印刷してもらいました。
レジュメの内容等はインターネット上にあるテンプレートをそのまま引用しました。
オーストラリアの履歴書は日本と違い、手書きの必要がないことです。
語学学校周辺にいる各ホテルを周り、ハウスキーパーとして雇ってもらうよう努めたり、バスを使って別のホテル等にレジュメを配りに行きました。
※ホテル業の経験はありません。掃除等の雑用レベルの仕事があればいいと思っていました(無策)
けれども、まったく手ごたえはありません。
冬のこの時期は観光客が激減するため、正直仕事がありませんでした。
日本と違って、お祈りメールは来ませんから採用されたかどうか判断する方法がありません。
結果として、採用したという連絡は一つもありませんでした。
不安を抱えた状態のまま、私は語学学校の卒業式を迎えることになりました。
卒業する生徒たちのルーティーンについて
①卒業スピーチ
卒業を控えている生徒には、その週の金曜日の昼食前に卒業スピーチをしなければなりません。
そのため、事前にスピーチ原稿を用意する必要があります。
ただし、持ち時間や原稿スピーチ文字数等の制限はありません。
ようは、英語で何かを言えばいいのです(笑)
今まで、多くの卒業生のスピーチを聞いてきました。
長々と英語を披露する生徒。過去の出来事や苦労を述べる卒業生。
私が一番印象に残っているのは、日本人生徒たちのスピーチです。
特に日本人男性に多い傾向なのですが、スピーチを一言で終わらせてしまうパターンです。
See you again
goodbye
等の一言でスピーチから逃げる男子が多いこと(笑)
ですが、実は一見卑怯なことに聞こえます。
けれど、スピーチを聞く側にはむしろ都合がいいのです。
その理由は、皆スピーチなんて聞きたくないからです。
早く昼食を取りたくてしょうがないというのが、語学学校の生徒たちの本音です。
現に、卒業スピーチが終了した瞬間、食堂へ全力疾走する生徒が半数以上を占めています。
②卒業した瞬間、母国語を使い始める
卒業式を迎えれば、その生徒たちは学校の縛りから解放されます。
つまり、母国語禁止ルールが適応されません。
仮にあったとしてもペナルティーとなる反省文の宿題をする必要がないです。
卒業するのですから。
そのため、一部母国語で学生寮を平気で話していた日本人を見かけたことがあります。
高校生くらいの女子高生で、一週間だけの滞在でした。
記念留学みたいなものです(笑)
英語は私よりもできなかった彼女ですが、見た目のルックスが良かったため若い日本人男子たちから人気がありました。
その週で彼女の卒業スピーチがありましたが、案の定しどろもどろになっていたのを覚えています。
それはしょうがないのです。一週間しかいませんでしたし、まだ高校生。
ですが、卒業スピーチ終了後に彼女は学生寮の机と椅子を陣取り、3人くらいの若い日本人男子に囲まれて日本語を平然と話していました。
これには私は唖然としました。
その時、私はすでにシェアハウスに引っ越し済みでした。
けれど、気分転換に学生寮の前にある座席で親しくなった日本人のTK君と一緒に宿題をしていました。
横から、彼女の日本語での長い会話が嫌でも聞こえてきました。
日本での先輩との話や恋愛話等の実にくだらない会話。
しかも、彼女に群がっている男子たち(在校生)も日本語で堂々と会話をしているのです。
英語縛りのストレスを解消したかったのだと思います。
男子3人が後にペナルティーを受けたかどうかは知りません。
少なくとも私は密告等はしませんので。
ですが、母国語はせめて学校の外でしてほしかったと私は思います。
語学学校のルールであると同時に、それはマナーでもあると私は考えます。
③卒業パーティ
卒業パーティに関しては、学校側は基本的に関与はしません。
友人同士が計画してパーティを開催する感じです。
調理室や道具等を申請すれば貸してくれるとは思います。
卒業生は基本的に土曜日には帰国するか別の場所へ移動するため、卒業パーティは基本的には金曜日の夜に行われるようです。
私は以前、学生寮に住んでいた時、夜道を散歩したことがあります。
すると、数人の日本人がバーでお酒を飲んで酔っ払い、日本語で楽しく会話をしていました。
また、別の卒業生の例では語学学校の近くにあるビーチでバーベキューをしたとのこと。
卒業パーティの仕方は人それぞれです。すべては在校生である友人たちによって内容が決定されます。
④卒業記念の写真撮影
授業中の合間にある休憩時間を使って、卒業生のスマートフォンを誰かに頼んで撮影します。
基本的にはその週のクラスメイトたちと半強制的に記念撮影をされます。
私が迎えた卒業式の日の出来事
①卒業式前の記念撮影
休憩時間中に撮影が開始されました。私のクラスで卒業するのは私とブリスベンでマッサージの資格をとる予定の日本人女性の二人です。
私とその女性を真ん中にして記念撮影が行われました。
実は私はこの記念撮影に全く乗り気ではありませんでした。
理由として、このクラスがあまり好きではなかったことと、あまりに日が浅いからです。
エレメンタリー ⇒ プリエレメンタリー ⇒ エレメンタリー ⇒ プリエンターミディエイト
これが私の3か月のクラス分けの歴史です。
その中で、2回目のエレメンタリークラスが一番気に入っていたからです。
プリインターミディエイトは入ってから日が浅く、またクラスメイトとはあまり仲が良くなかったことも事実です。
ですので、彼らとの集合写真にまったく興味がわかず、卒業生の日本人女性のスマートフォンにはその時の集合写真が収められていますが私は持っていません。
頼まなかったからです。
そもそも、元からこういう行為自体好きではないのでこれでよかったと思います。
②卒業式
私は卒業式の数日前から卒業スピーチを作成し、練習していました。
そのため、卒業スピーチの準備は完了していました。
卒業式前に授業の合間の休憩時間に以前同じクラスだった日本人女性から卒業祝いとして、TimTamというお菓子をいただきました。(2回目のエレメンタリークラスの時)
TimTamとはオーストラリアでは有名なチョコレートのお菓子です。
私は彼女の親切心に感謝しました。
※実はその前日に半額になっていたTimTamを数個購入していたのですが内緒
そして、午後1時に授業が終了し同時に卒業式が開始されました。
卒業生と新入生はステージの前の方で待機しなければなりません。
卒業生はスピーチをした後にお世話になった先生たちと一緒に記念撮影があります。
そのため、語学学校が長い生徒やクラス移動の多かった生徒は必然的にたくさんの先生たちとの記念撮影をしなければなりません。
卒業スピーチの番が私に回ってきました。
司会を務めるのはその生徒の担任の教師です。
プリインターミディエイトのクラスでは、女性で鼻が高いトリッシュ先生が担当してくださいました。
担当の先生はその生徒に対する評価を口にする必要があります。
私はトリッシュ先生から「とても無口でまじめ」と言われました(笑)
コミュ障で陰キャなだけなんだけどな~と私は心の中で思っていましたが。
そして、私がスピーチすることになりました。
結果から言えば、大失敗でした。
スピーチ内容はあえて言いませんが、内容がかなり滑っていたこと。そして、私の英語が皆に伝わっていなかったことなど。途中で文法ミスをトリッシュ先生から指摘された等々の失敗の数々。
スピーチは散々でした。
そして、最後の記念写真にも問題が発生しました。
私が世話になっていたジュリエット先生やジェーン先生等の方々が今日に限って誰も出席していなかったことです。
トリッシュ先生とはたった1週間程度の付き合いで互いによく知りません。
ですので、気まずい状態で私はトリッシュ先生と二人で写真を撮ることになりました。
そして、卒業証書をいただきました。
私の卒業式はこれでおしまいです。
③卒業パーティ―について
まず、私のために卒業パーティーはありませんでした。
理由は単純。卒業パーティ―をしてくれる友達がいなかったからです。
それは卒業式前から分かっていました。
ですので、私は卒業式の日は卒業パーティ―ではなく、ピザパーティーに参加することになりました。
オーストラリアでまさかのピザパーティ―参加
これは私が土曜に通い始めた教会での出来事から始まりました。
教会に関しては↓の概要蘭から
ある日の土曜日に、いつもの通り午前中に教会へと足を運び、分からない英語を聞きながら教会を堪能していた時です。神父様からピザパーティ―の招待状をいただきました。
その開催日が卒業式とかぶっていました。
しかも、そのパーティーは無料!
私の脳裏に浮かんだ言葉は「行くしかない」でした。
オージーからそういったお誘いを受けることはワーホリでの貴重な体験かつ財産になると思います。
そのため、卒業式前から私は語学学校で知り合ったそれなりに会話ができる同級生に声を掛けました。
一番仲が良かったTK君は私より一週間早く卒業し、ブリスベンの語学学校に通っていましたので、彼を誘うことはできませんでした。
私は映画を一緒に見た台湾人のジャック1と日本アニメ大好きジャック2を誘おうと決めました。
2人のジャックについては下の概要蘭で
ですが、見事に断られました。
彼らはその日、ケアンズシティで地元のクラブに行く予定があったからです。
結局、私は独りぼっちでピザパーティ―に参加することになりました。
その日の夕方、タイミング悪く雨が降り始めてきたからです。
本当に今日はついていない。
私は指定された場所へ自転車を用いて進みました。
濡れながら、約30分かけて指定された家に到着しました。
インターフォンが見つからず、声を出して人を無理やり呼びました。
招待状を見せて中へ入ると、たくさんのオージーたちがいました(当然)
教会で知り合った人たちやその家族がたくさんいました。
神父様は大型のピザ焼き機(正式名称不明)で慣れた手つきでピザを作っていました。
私は一通り、自己紹介した後、ピザが焼かれる光景をゆっくり眺めていました。
今までの疲れが出たのだと思います。
そして、焼き立ての大型ピザの一切れを貰い、それを口にほおばりました。
すると、とてもおいしかったです。
冷凍ピザではなく、本物の焼き立てでチーズたっぷりのピザに私は何度もお代わりをしてしまいました。
ピザパーティーで日本人の方と出会う
オーストラリアは基本的に多国籍文化です。
ピザパーティーの中には当然アジア系もいました。
中国人の現職の警官のかたとお話をし、自転車に乗る際の注意点を指導されました。
今はプライベートだけど仕事中にルール違反したら捕まえると脅されました(笑)
そんなパーティーの中、私は熱心なキリスト教のオージーと話している時の日本人の男性と会いました。
キリスト教の教えをレクチャーされていた私ですが、何を言っているのかさっぱり分かりませんでした。
そこをその日本人の方が翻訳してくれたのが出会いのきっかけでした。
その男性は私より年上で妻子持ちの会計士の仕事なされている方でした。
オーストラリアに来た経緯を互いに話し、私の今後についてアドバイス等をいただくことができました。
そして、災難続きだった卒業式の日は結果的に最高の終わりを迎えることになりました。
※ピザパーティーの写真を取り忘れました。申し訳ありません。
そんなこんなで私の語学学校生活は終止符を打つことになりました。
良くも悪くもいろいろな体験ができて本当に良かったと思います。
けれど、本音を言うなら、もう二度と語学学校には通いたくはありません。
学校と言うシステムが本当に自分には合わないと実感させられたからです。
今日は以上です。今日はご視聴ありがとうございました。
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