【ワーホリ】2020年3月22日 オーストラリアから日本へ帰国(後編)

どうもどうも。 

 のんびり(ダラダラ)が大好きな野川太郎です。

 前回の続きです。

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航空便が無くなる

 バイロンベイのツアーを申し込み、日程が決まり、いつも通り海で遊んでいた私でしたが、トラブルが起きました。

 いつものようにボディボードを練習するためにバスに乗り、とある海岸で練習していたときです。

 下記の写真が私がボディボードを楽しむために通っていた海岸です。名前はカルンビンビーチ。その近くには動物園があり、コアラを抱っこできます(実際しました)

 その日は金曜日で日本帰国まで約1週間前でした。今日の海は波が非常に強く、沖まで行くことがどうしてもできませんでした。体力もかなり消費したのを覚えています。

 そのため、午前中にマリンスポーツを切り上げ、バスでシェアハウスへと帰宅しました。

 その時は正直機嫌が悪かったのを今でも覚えています。ボディボードらしいことができず、悔しかったからです。しかし、これがきっかけで私は救われることになります。

 シェアハウスで自室にこもると、スマートフォンに航空便からのGmailが来ていました。

 英語だったのですが、ある程度は訳せましたし、アプリで日本語訳も可能でした。

 そのメールの内容を最初に見た時、私は驚き、アプリの翻訳でも確認し、さらに驚きました。

 簡単に言えば、予約していた日にちの航空便が欠航となったのです。理由は当然あいつです。コビット19です。オーストラリアは日本よりも常に早い対応をしていたことは知っていましたが、急な変更だったので私はかなり焦りました。

 私は急いでパソコンを開き、日本行の予約を変更しようとしましたが、パソコンと自宅のWi-Fiが非常に相性が悪かったので、スマートフォンで予約をし直すことになりました。それは同時にバイロンベイの旅行が無くなることも意味していました。

 私は凹みながらも慌てて日程を変更し、二日後の日曜日に便を取ることに成功しました。

 もし、あの時海から帰宅していなければ、便が取れず、日本へ帰れなかったかと思うとぞっとしました(帰りたいとは言っていない)

急いで日本帰国の準備

 それからは慌てて準備をしました。荷物をまとめること、大家さんに連絡をいれたこと、銀行口座を解約すること、お土産など他多数。

 シェアメイトたちにもそのことを教え、またケアンズ時代に良くしてもらった香港人カップルにも帰国の連絡を入れました。

 また、急なことだったのでオーストラリアで購入したボディボードとフィンはシェアハウスに置いていくことにしました。重量オーバーだったこともあり、シェアハウスに置いていきました。

 また、自転車修理店からもらった5万以上する自転車も置いていくことになりました。ウーバーでは本当にお世話になりました。

 自転車に関しては元々置いていくつもりでいました。誰かに売っても良かったのですが、プレゼントされたものを売るのは気が引けましたし、シェアメイトの誰かが使ってくれればいいと思っていましたし。

 ウーバーバッグはオーストラリアの専用のサイトに売りに出しました。

 これに関してはハンからのアドバイスによるものです。ウーバーバッグは必要な人がいるからという理由でした。

 金曜の夜にインターネット上で売りに出し、次の日に売り手が見つかり、安く売りました。多分30ドルくらいだったかな。

 土曜日にはほとんど帰国の準備が完了しており、最後に海を見に行ったのを覚えています。

 バイロンベイの旅行も人数不足で中止になっていたことを後で知りました(笑)

帰国当日

 そして、日曜日の朝。シェアメイトのスロベニア人にしてベジタリアンの高身長ヴェロニカに空港まで送ってもらいました。感謝感謝!

 空港内には私以外にも大勢の日本人がいたのを覚えています。けれど、私のようなワーホリ帰りではなく、旅行者で若い。学生だったと思いますが、明らかに学校がらみでした。

 航空機内では9時間のフライトだったので、映画を4本みました。洋画2本と邦画2本です。タイトルは忘れましたが、一つはマレフィセント2でアンジェリーナジョリーがドラゴンになるシーンを覚えています。

 こんな感じでバタバタした最後になってしまいました。

 これで私のワーホリ生活が本当に終わりを迎えました。

 今、このブログを書いていますが、感慨深いです。とても大変だったけど、夢の中にいたようなワーホリ生活だったと思います。

以上です。

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