どうも。
無気力状態が常に続いている野川太郎です。
3月の終わりにオーストラリアから帰国してから何があったのかお話ししたと思います。
実家に到着
実家に到着して私が最初にしたことは、何もしないことでした。つまり、2週間の隔離生活です。これは強制的ではありませんでしたが、私自身、両親の総意の下で行いました。
実を言えば、オーストラリアのゴールドコーストでもすでに感染者が数名出ていました。
また、コロンビア人のヘクターが通っている語学学校でも陽性者が出ており、ヘクターは濃厚接触者ではありませんでしたが、隔離されることになりました。しかも、それは私が慌てて帰国する前日でした。
空港内でも隔離措置が私はなされませんでした。オーストラリア帰りは対象外だったからです。けれど、2週間の隔離を私は余儀なくされました。
室内での暇つぶしの毎日
家ではテレビを見るかスマートフォンを使うくらいしかやることがありませんでしたが、何とか暇つぶしをすることができました。
テレビはコビット19のことばかりでかなり退屈したのを覚えています。
スマートフォンでyoutubeを見るか、ソーシャルゲームをすることで引きこもり生活は成り立っていました。
他にも、中学時代の友人と長電話したり、フェイスブック経由で大学時代の友人とチャットしたりと、オーストラリアでの出来事を一応報告しました。
その間、体調を崩すことはなく、2週間本当に外へは出ませんでした。
大学時代の友人とは、オーストアリア在住中にフェイスブックで時々連絡を取っており、夏に他の同級生と集まろうと約束していましたが、コビット19のせいでそれが無くなりました。
コビット19が感染拡大する中で、無数にあったイベンドは反比例のように減少していき、日本中の娯楽が封印されていく姿は悲しみと恐怖でいっぱいでした。
けれど、2週間たっても私の体はぴんぴんしていました。オーストラリアでもマスクは在庫がなく、ノーガード戦法(ノーマスク)で日本へ帰国したので不安はありましたが、私はようやく、外へ出ることができました。
オーストラリアで、ウーバーイーツの仕事に疲れて、次の休みの日は家で過ごすということをよくやっていたことが、2週間の隔離生活を後押ししてくれたのかもしれません(笑)
2週間の隔離生活が終了
両親が作ってくれた手作りマスクを装着し、2週間ぶりの外へ出ました。
けれど、そこはもうオーストラリアではない。一つ一つの感覚が常に広かった場所ではなく、紛れもない密集した町である日本ということを痛感した瞬間でもありました。
とても感慨深いものがあります。
目にする風景が明らかに日本。
もうオーストラリアはここにはないことを・・・・
今日はこれにて失礼!
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