【映画】やがて海へと届く 【映画批評】【ネタバレ】

映画批評

どうも。

先週、映画を2本鑑賞し、少し疲れてしまった野川太郎です。

今日は原作未読の私が【やがて海へと届く】の映画考察をしていきます。

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映画予告に騙されるな!(もうネタバレします)

本作の予告編では、主人公の女性・真奈が、大学時代に出会った親友・すみれが行方不明になり、彼女の残したビデオ等を調べながら親友の秘密を知ってしまう・・・・・的な演出ですが全てうそです。

本作の大まかなストーリーは、行方不明になった親友のことを忘れられない主人公の真奈が、少しずつこの現状と向き合おうとするヒューマンストーリーとなっており、ミステリー要素は皆無です。

つまり、消えた親友には誰にも言えない秘密がった・・・・的な演出は残念ながらありません。

個人的に、この演出には非常にがっかりでしたが、それ以上に批評すべき点がいくつもあります。

一つずつ語っていきます。

テンポがあまりにも悪すぎる

本作はとにかくテンポが悪い。

ワンシーンから次のシーンまでの間が非常に長く、そのワンカットですら凡庸で退屈極まりありませんでした。

意味深なシーンがあるわけでもないのに、ワンカットが長くそれはエンディングまで続きました。

ヨーロッパ映画のような間延びした作品になってしまったことは非常に残念でした。

キーパーソン、すみれの説明不足

本作の欠点の一つに説明不足があります。

本作は、行方不明の親友との大学時代の思い出を描いています。それは思い出描写により、親友の重要性や行方不明になったことに対する観客への同情心を煽ることが目的となります。

私が言いたいことは、この大学時代の交友関係等の描写がかなり不足しているということです。

テンポが悪い作品に加えて、描写不足とは。

詳しく説明すると、

序盤、主人公の真奈がDQNパリピサークルに絡まれるシーンから始まります。このシーンはよくできており、お馬鹿な大学生を見事に演出していました。

しかし、それ以降のシーンがあまりに【弱い】

二人が観光するシーンでは、ベタな女子トークをしながらノスタルジックな雰囲気を醸し出していました。けれど、それだけのことです。

二人の大学生活の描写があまりに抽象的で、主にどのような大学生活を送っていたのか想像しづらいという欠点が残ってしまいました。

また、描写不足に加えて時系列がコロコロ変わるため、今いつどこで何をしているシーンなのか? 不明な点が非常に多く、行方不明のすみれに対して、共感することが難しかった。

ミステリアスな親友という描写があまりにも雑過ぎる。

実際に鑑賞すれば、私が言いたいことが理解できると思います。

せめて、大学でのノスタルジックな描写をもう少し描いてくれれば、感情移入できたのですが非常に残念です。

特に、浜辺美波演じるすみれのシーンが映画全体を通して少ないのが一番の問題点。

すみれというキーとなるキャラクターの描写が少ないのは致命的

※逆に、【映画】霧島部活止めるってよ、の霧島の描写がないことは逆に作品の深みになっています。

けれど、それは周囲の人たちによって霧島という存在を間接的に説明しているからですが、本作では、すみれというキャラクターを説明しているのは母親だけで、それも痴話げんかの描写のみ。

役者たちの持ち味を、見事に使いこなせなった本作でした。

キーパーソン、行方不明のすみれの秘密とは・・・・

ミステリアス風に仕上げきれなかったキャラクターであるすみれの秘密とは・・・・

特にありません!

この描写不足のキャラクターで判明したことは、ビデオ撮影が趣味母親と仲が非常に悪いこと。また、一人旅が好きであることが分かっています。

そして、行方不明の理由も判明しています。それは津波の被害を受けた可能性でした。

つまり、すみれには秘密はありません。津波の被害にあい、いなくなってしまったという展開。しかも、主人公の真奈はそれを初めから知っており、それはすみれの元彼も知っています

知らないのは、原作未読の視聴者だけだったのです。

秘密など最初からなかった。それをただ引っ張っただけ。

役者の演技で、どこか闇を抱えているような雰囲気を出していただけに非常に残念でした。このキャラクターは匂わせるだけで何もないのです。

主人公の真奈というキャラクターについて

主人公にして、行方不明の親友の死を受け入れられない、真奈。

このキャラクターもどうにかならなかったのだろうかと思います。特に共感できる所がないのです。

すみれの元カレが、彼女の死を受け入れることに対し、主人公は不満を感じ、態度がかなり悪い。

仮に謎の失踪を親友が遂げており、生存している可能性が高いならいいのですが、あの態度はただの八つ当たり。

津波による被害に遭ったことを分かっている癖に、親友の元カレに当たる主人公。

ミスリードな予告編や出だしの悪さもプラスして、イライラポイント。

この陰キャ主人公にどうしての共感できなかったこともかなりのマイナスポイントでした。

初めから分かっている癖に、匂わせる演出だけして微妙なタイミングで【親友が津波の被害を受けた】ことをポロっと吐いてしまうシーンは、演出的に最悪でした。

ミステリーかつノスタルジック的演出がすべて無意味になってしまいました。

結局のところ、主人公が親友の死を受け入れられず、弱い過去シーンで中途半端な共感を演出し、ダラダラ時間だけが進んだ結果、尺の大半を使ってしまう本作

主人公が現実を受け入れられないでいるだけの描写に時間を使いすぎた映画となってしまいました。

後半から急にドキュメンタリータッチへと変更される

後半になり、主人公が親友を探しに仕事の同僚と一緒に行動するシーンがあります。

そこでは、津波で家族を失った人たちのドキュメンタリー撮影が行われていました。

主人公たちはそこに伺うシーンがあります。

すると、そのドキュメンタリーシーンが流れ出し、創作映画からドキュメンタリー映画へと急な変更シーンがありました。

とても違和感のある描き方で、同時にわざとらしい演出でした。

まるで、津波の被害を忘れてはならないというプロパガンダのような臭い演出に、私は映画館で怒りを覚えました。

津波の被害者たちに忖度しているような臭い演出は、逆に失礼極まりないとさえ思いました。

本作は、本当に中身のない映画で、津波という敏感なテーマを露骨に利用している感じが不愉快極まりない。

私が見たかった映画と完全に趣旨がずれてしまいました。

本作はこうあるべきだった!

私なりの考察では、本作は親友の死を受け入れられない主人公の再生の物語にすべきでした。

変に匂わせるようなことはせず、もっと各シーンを深く撮影すべきだった。役者たちの撮影時間の制限だったのか? 予算の都合だったのかは分かりません。

主人公は最後、私が嫌悪したドキュメンタリー映画に参加をして彼女の物語は終わります。

こんな演出で納得できるわけがない!

津波の被害者たちにも失礼!

何だこの映画?

というのが私の感想です。

陰キャで性格の悪い、過去に固執した主人公が前に進もうとするまでの物語として非常に薄っぺらい。

映画には3種類あると私は考えています。

傑作映画(おもしろい)

駄作映画(怒りを覚える低クオリティ・滑っているけれど、同時に個性的)

そして、無味無臭の映画(純粋に退屈な映画のこと)

本作はまさに無味無臭系の退屈な映画であることは間違いないです。

役者の演技力は問題なかったことや、海をテーマにした映像では所々美しさはありましたが、全体的には無味無臭系映画。

演出が下手とはこのことです。

素直に、再生の物語にすればよかったと私は考えています。

感想はここまで、ここからは各シーンの考察

本作は描写があまりに抽象的で完全に解釈ができない所がありました。

それをこれから私なりに考察していきます。

すみれという女性について

彼女の描写は少ないため、私なりの考察になります。

まず、なぜ彼女はビデオカメラを手放さなかったのかについてです。

彼氏とのシーンでそれは明らかになっています。

ビデオカメラ越しでないと、本音が言えない女性であることです。

すみれというキャラクターは表向きは明るく、誰とでも話せる女性。

けれど、それは実際には違います。彼女は常にチューニングしているのです。

つまり、本音を言っておらず偽りの自分を演じているということ。

すみれは他人に依存し自分が無い母親に対し、怒りを抱いていました。けれど、それは彼女自身のそうだったということです。

つまり、ビデオカメラを持っていない彼女は本音を言っていない。相手に合わせているだけの道化

ビデオカメラを持って相手と話している時に本音が言える女性であること。

これはなかなかの闇ではありますが、本作では描写が不足しているので私の考察は推測に過ぎませんん。

※演出不足を観客に補ってもらう手法が私は嫌いです。

「世界の方面した見えていない」とは本音と建て前のことであると私は考察しました。

人は、他者に対して建て前で対応します。そして、内に秘めた本音を隠し持っているものです。

そういう考察ができるので、本作の視聴も必ずしも無駄ではなかったのではないかと私は考えます。

二人の関係性

上記の私の考察が正しければ、二人が本当に親友だったのか? 疑問が生じます。

主人公は建て前が言えず、本音しか言えないもしくは隠すタイプの陰キャ。そして、すみれは建て前を自在に使いこなす一方で、本音はビデオカメラ越しでしか言えない隠れ陰キャ。

映画の描写から言えることは、主人公が一番すみれのことを分かっていません。彼女の発言に対する回答もなく、ただ親友のことを引きずっているだけ。

一方のすみれは、一種の闇を抱えながらも親友である主人公にこの闇を理解させてはいない。

ある種、二人は互いを親友であると勘違いしていたと私は考察しました。

そうすれば、少しは本作に深みが増します(無理やり感)

ただ、二人の間には明らかに壁がありました。そういう描写も映画では描かれていますが、前述したように描写シーンが不足しており、色々とあいまいなのが残念な所です。

店長はなぜ死んだのか? この描写の意味とは?

すみれの失踪よりよっぽど不可思議だった店長の自殺。

この自殺のシーン、正直いる?というのが私の感想です。

自殺の原因が曖昧ではっきりしません。

すみれの津波に巻き込まれたことに関しても詳しい描写はされていません。

本当にあいまいな演出しかできない本作ではありますが、私なりに店長の自殺について考察します。

結論から言えば、店長の自殺に追い込んだのは主人公です。

店長は本来聞かないはずのジャズの音楽をお店に流していました。これは、店長もまたチューニングできる人間だったからだと推測しました。

実はロックミュージックが好きだった店長。しかし、お店の雰囲気に合わせるために、チューニングしていたのでしょう。

そして、その自覚がないまま店長を続けますが、主人公の一言で自分が周りに合わせているだけの空っぽの人間であることに気がついてしまったのでしょう。

だから、遺言で【好きな曲を選びなさい】と主人公に一体のだと考察できます。

※ちなみに主人公は店長の自殺を自分のせいであるとは微塵も思っていません。本当に共感できないキャラクターなのが腹が立ちます。

店長は、元々お店の中心部にいましたが、本音でぶつかり左遷されたという説明がなされました。

この時、店長は本音をすててチューニングする道を選んだのだと思います。

この映画の結論

本作は、万人受けできない映画になっています。かなりの映画マニアやヨーロッパ系の映画が大好きだという人におすすめの映画です。

今日は以上です。

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