どうも。
灰色の学校生活を送っていた野川太郎です。
今日は目に見えない病気通称【青春病】について、提唱していきたいと思います。
まず、青春とは?
まず、青春の定義について確認してみましょう。
辞書的な意味では下記の通り・・・
夢や希望に満ち活力のみなぎる若い時代を、人生の春にたとえたもの。青年時代
らしいです(笑)
けれど、言葉の意味は人それぞれだと思います。
世間一般で言う青春の意味は何でしょうか?
私はこれだと思います↓
学生時代(特に中学・高校時代)を謳歌すること。
つまり、青春とは名詞の意味と動詞としての意味の二つ存在することが私なりの解釈です。
「青春している」という動詞的な使い方をする人は多いでしょうし。
青春病とは何か?
では、私が提唱する【青春病】とは何か?
一言で表すなら、学生時代・至上主義のことです。
つまり、学生時代こそ人間の絶頂期と考える思想のことです。
人は誰しも大人になります。その時、不意に学生時代を思い出すことはないでしょうか?そして、あの頃は楽しかった・・・・みたいなセンチメンタル、もしくはノスタルジーが心に宿ったりすることです。
また、学生時代に必要に思い出を仲間たちと作ろうと強迫観念に駆られている若者たちも同様です。
日本の映画は少年少女が主人公である作品が大ヒットする傾向がありますが、その原因の一つに青春病つまり、【学生時代=絶頂期】という勘違い・強迫概念があると私は考えています。
青春病の主な症状
以下の言葉にときめきや思い入れを感じるのであれば、もう青春病です(主観的思考)
・高校最後の夏
・高校最後の部活の大会
・学生時代の恋人
上記以外にも他多数あり
上記の言葉に対し、純粋な懐かしさを感じるだけなら私は問題ないと思いますが、学生時代を異常なまでに神格化する、唯一無二の時代だった等の思考に陥っているなら、それは青春病です。
学生時代を異常なまでに美化し、大人である時代をどこか下に見ている。そのような思考が青春病であり、とても危険で人を不幸にする考え方であると私は考えます。
人生は大人になってからの方が長いです。学生時代が絶頂期であり、すべてだったという思考は人生を貧乏にし自らを不幸にすることに等しいと私は結論を出しています。
青春病を利用したコンテンツ
この青春という漠然とした言葉に支配された日本人が多いと私は思います。その原因は青春という言葉を利用したコンテンツが多いからです。
例えば、青春映画などが一番いい例であると私は考えます。
日本の青春映画は、登場人物たちやその世界がとてもキラキラしていて、あまりにも現実離れしすぎていることです。
部活動を利用した青春映画、不良をテーマにした映画など。
きれいな俳優さんたちの制服姿を映し出し、部活動や恋愛という武器をつかってのメディア戦略をすることで、学生時代を異常に美化させる映像を流す。
それが当たり前のこの国では、そういった映像は無数にあり、それが青春病を萬栄させている原因の一つであると私は考えます。
最近では「アオハル」というキラキラネーム並みに馬鹿な言葉が生まれるほどになりました。
個人的な意見として、その言葉を聞くだけで素直に、イラっとするのは私だけでしょうか?
本当は分かっているはずです。
学生時代はそんなキラキラしたものではなかったということを。
けれど、そんな現実を受け入れられない人々がたくさんいることも事実です。
なぜ、青春病が生まれるのか?
理由は二つ。
大人になってからの希望が見えないこと。
学生時代を謳歌できなかった大人たちのトラウマ
詳しく解説していきます。
①希望の見えない大人時代 と勘違いしている
まず、私の考える日本人は常に【年齢】を気にする文化があるということです。
結婚がいい例です。30歳前に結婚したい等の意見をよく聞きます。もちろん、今は多様性の時代ですから気にしないことが一番です。
けれど、年齢を重ねるごとに結婚しにくくなったり、出産リスクが高くなったり、健康面での不安が高まってきます。
つまり、日本人は 年を取ること=不幸になること と考えている人が多いということです。
また、結婚後の生活等での苦労もあり、学生時代ほどの自由はないことも確かです。
つまり、学生時代は無敵の時代だと解釈できるというわけです。
ここからは私の反論です。
本当に学生時代とは価値のある時代なのでしょうか?
私の結論は【何歳であるかは重要ではない】ということです。
学生時代の私自身を振り返ると、その当時の自分は本当の無能で何もわかっていない子供でした。一言でいうなら未熟! つまり、学生時代を謳歌する能力は当時の私にはありませんでしたし、今もありません。
むしろ、その未熟さや能力不足、私個人の性格から、学校生活はむしろ地獄でした。学校も嫌い、部活動も嫌い、学校行事すべてが面倒くさい。そして、同級生たちの大半を嫌っていた私にとって、学生時代は悪夢の毎日でした。
だから、青春という言葉を容易につかい、学生時代至上主義者たちの言葉に虫唾がはしるのかもしれません。
私は言いたい。
君たちの幸福は俺や俺のような人たちの犠牲の上に成り立っているということを。
君たちが好き勝手に楽しんでいる分、俺たちのような人間が苦しんでいたことを知らないだろう!
君たちの青春謳歌組(笑)の思い出作りのために、こちらは苦労を強いられていることを少しは理解しろ! 学校生活は天国なんかじゃない! ただの場所にすぎないということを
だからこそ、大人たちが大人になってからの喜びや楽しみ、可能性(妄想ではない選択肢のこと)を子供に示す必要があります。
年を取ることは悪いことばかりではないということです。
現に、私は大人になってからの方が充実しています。学校生活は一見自由に見えて実はかなり不自由でもあります。学校という好きでもない同級生たちと一緒に過ごさなければならない場所の方がある意味で不幸であり、また未熟ゆえにうまく立ち振る舞いができないことからくる不幸はいくらでもあります。
むしろ、年をとったことで価値観が広がり、身体は衰えても思考は成長し続けると私は信じています。
かつて、非リア充だった大人たちのトラウマ
学生時代に謳歌することができなかった大人たち。私もその一人ではありますが、私は学生時代や若さに対してそれほど価値をみいだしてはいません。
塾で働いているから分かるのですが、大人になってから勉強しても何も遅くはないということです。昔の自分より、今の私の方が幾分賢いとさえ思います。
けれど、青春病にかかっている大人たちの中には私のように非リア充だった人は、過去に囚われ、青春という漠然とした言葉に囚われている人が多いのではないでしょうか?
学生時代至上主義でありながら、学生時代を謳歌できなかった人々がする行動は分かります。
青春コンテンツを好むことです。
青春映画にハマったり、もしくはそのコンテンツを作る側に回ることです。
それ自体を否定するつもりはありませんが、そのコンテンツで新たな青春病患者が増加していくことを私は恐れています。
言い方を変えるなら、学生時代主義を他者に押し付けていることになります。
そして、彼らが作るコンテンツはティーンエイジャーたちが主役の作品ばかり。それは実写映画・アニメ映画関係ありません。
学生時代のトラウマから生まれたコンテンツが新たなトラウマを植え付ける。
私はそれを非常に恐れています。
まとめると、
子供時代に固執してしまった人々、そして大人になっていくことへの絶望感が【青春病】を萬栄させていると私は考えています。
では、この青春病による弊害とは一体何でしょうか?
青春病による弊害
①勉強より思い出づくり(ブラック部活)
学校での娯楽は非常に少ない。
そのため、生徒たちは青春の代名詞である恋愛・部活に逃げる傾向があります。
けれど、恋愛は全員ができるコンテンツではありません。また、成就する可能性も決して高くない。
すると、大半の生徒たちは【部活動】で思い出づくり、つまり【青春活動】をするということです。
ブラック部活を生んでいるのは何も大人たちだけではないということです。
自分が学生時代に青春を送ったという思い出づくりのために、全国大会等のために必要以上の練習・訓練をして時間を奪っている学生がいることも事実です。
つまり、青春病はブラック部活を正当化させる可能性を有した危険な病気であり、同時に思想なのです。だから、私は基本的に部活不要論を説いていると言っても過言ではありません。
詳しくは下のリンクで
また、ブラック部活でなくても、勉強から逃れるために部活動を言い訳にする生徒も多いです。
勉強だけすればいい、と私は思っていません! 勉強と遊びの両立もしくは向き合い方が大切であると思っています。
けれど、青春病にかかっている生徒たちは、勉強に価値を見出すことはしません!
キラキラした思い出づくりに精を出すことを考えてしまいます。
そして、彼らが決まっていうセリフは【花の十代だから】とか【青春したい】とか、実に寒い言葉が飛び交ってきます。
また、塾でとある女子高生たちに言われたのが、【私たちJKだから!】という言葉でした。
つまり、女子高生というブランドを彼女たち自身で勝手に作り上げているという現実です。これは男性が若い女性に価値を見出すことと同じ考えを彼女らも持っていることを意味しています。
私は男ですが、正直この発言は気持ち悪かったです。
極端に子供でもなければ、大人になり切っていない高校生。そこに歪んだ価値を見出してしまうことが青春病の害悪であると私は考えます。
②学生時代を謳歌していないことを悪と考える風潮
これはどういうことか?
それは、私のような非リア充だった生徒たちに対し、同情したり不幸扱いすることを意味します。
現に、私は現役の非リア充なので、塾生の何人かから同情や不幸認定されたり、時には軽蔑する生徒までいるくらいです。
その相手が私だから我慢でき、私だから生徒たちは本音を私に言います。
けれど、この態度は控えめに言って最低です。
私の人生を否定していることと同じだからです。つまり、青春活動をしなかったことや失敗することを悪と捉えていることに他なりません。その歪んだ強迫観念は誰も幸せにはしないということです。
私にとっても思い出は、とても楽しかったキラキラしたデコレーションのようなものではなく、失敗したことや些細なことが本当の思い出であると考えています。
作ったような思い出よりも、予想外の出来事が起きた思い出の方が心に残るものです。
青春病に犯された人間たちは、私のような人間を否定しますが、その考え自体が非常に低俗であり、よっぽど不幸であると私は考えています。
③大人になることへの希望を阻害している
青春主義者たちは、大人になることを絶望と捉えています。もしくは学校生活よりは劣るものと比べている。
このような考えかたでは、誰も幸福にはなれません。
日本の社会がもっと明るいものであることを示さない限り、青春病は萬栄し続けるでしょう。
私は日本社会つまり、就職や賃金問題に関してあまりいいニュースを聞きません。これは大人になってからお金を稼ぐことの喜びや生きがいを奪っている状況といっても過言ではありません。
大人になってから一番苦労をすることは結局のところ、仕事です。
ですが、日本は経済的に豊かであるはずなのに、ブラック企業や賃金格差、会社内の人間関係トラブルが絶えません。そんな夢のない状態のままでは、人は過去に囚われてしまう。
ここを解決することが日本社会にとって重要であり、また青春病という目に見えない歪んだ思想を取り除く治療法であると私は考えます。
総括
若さに夢を抱きすぎ、またトラウマとなってしまう病気である青春病。
この青春病を解決するには、日本社会つまり大人の世界に対する希望をいかに抱かせるかが大切であると思います。
学生時代を美化する考え方は過去にとらわれている証拠であり、現実に対して盲目になってしまう思考。
若い時代を異常に美化しない、させないことが大切であると私は考えます。
今日は以上です。
ご視聴ありがとうございました。
コメント