テラビシアにかける橋 【映画】【感想】【ネタバレ】【映画考察】

映画考察

どうも。

大学時代、テラビシアにかける橋を映画館で視聴し、その後DVDを購入した野川太郎です。

今日は児童小説を映画化した作品、テラビシアにかける橋について考察していきます。

ちなみに、私はこの映画を視聴する前に原作を読破しました。

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予告編詐欺について

本作もまた、予告編詐欺がありました(笑)
※ただし、外国版の予告編の話です。

確認すると分かることですが、予告編では二人の少年少女がファンタジー世界で戦う的な描写がされています。

けれど、本作はハリーポッターやナルニア国物語のような別世界への冒険はありません!

この作品は、空想力を通して一人の少年が成長する物語です。

予告編ではCGを使って、主人公たちの空想を描いていますが、決して冒険ファンタジーではないのでお気をつけください。

この作品はファンタジー風ヒューマンドラマと位置付けています。

逆に、日本版の予告編はネタバレしすぎでこちらも少し問題があります。
予告編を視聴はあまりお勧めしません。

大まかなストーリー解説(ネタバレ全開)

主人公の少年は貧乏で姉と妹に囲まれた生活を送っています。
兄弟と特別仲がいいわけでもなく、とりわけ父親とは犬猿の仲です。

※この時代はまだゲーム機等がないです。

毎日競争の練習をしている主人公は、学校の昼休みに数人の男子たちと徒競走をすることになります。

学校で主人公はスクールカースト底辺層におり、家でも学校でも居場所がありません。

そんな中、主人公が通っている学校に転校生がやってきます。

明るく、常に前向きなヒロイン。彼女は自由人ゆえにクラスから孤立することになります。

男子たちの徒競走にヒロインが介入してきます。女子だから来るなといういじめっ子たちの意見など無視して徒競走は始まり、なんとヒロインが優勝してしまうのです。

主人公によって唯一輝けるチャンスであった徒競走を女子のヒロインに負けてしまい、二人の仲は最初は最悪でした。

常識の方にハマれない主人公と常識の方にハマらないヒロインは共にクラスで浮いていました。

六年生のボス的存在の女子生徒からヒロインを助けたことをきっかけに二人の距離は縮まっていきます。

そして、学校に居場所がない二人は近くにある森を探索中にぶら下がっているロープを発見。

そのロープを使って森の奥へと向かう二人。

そこで、二人は空想力を駆使して自分たちの世界を創造し、ごっこ遊びをしながら現実へと立ち向かう物語です。

この作品の魅力は主演の二人のキャラクター

主人公は父親から【男らしさ】を要求されます。
けれど、主人公はとてもやさしく、繊細な性格。そして、絵を描く才能があります。
この父親と主人公の対立はとても共感できるシーンとなっています。

家で唯一の男の子だからこそ、強くなってほしい父親の願いと主人公の才能が合致しない。
そこが二人の溝となり、分かり合えない原因となっています。

主人公は決して性的マイノリティではありません。けれど、彼の才能は【男らしさ】とは無縁の場所にあります。
このシーンはかなりリアルで、主人公の父親は典型的な昭和型の人間です(舞台はアメリカ)

そして、ヒロインもまた苦悩を抱いています。

彼女はつまらない常識に縛られず、明るく積極的な女子小学生です
また、両親はどちらも作家であり、主人公とは対照的に経済的には成功している家庭です。
※つまり勝ち組

ですが、両親は基本的に共働きの小説家。両親との仲は良好ではありますが、あまり構ってもらえず孤独に悩んでいます。

また、その見た目と性格の良さから逆にクラスから抜けもの扱いされています。
田舎の学校に完璧女子が転校してきたため、彼女の人間的な優秀さを子供たちが理解できないことが原因です。

全く対照的な二人と登場キャラクターですが、ともに居場所がなく、空想力に富んでいる共通点と言う設定はお見事。

この世界観にすぐに引き込まれるキャラ設定をしてくれました。

空想の世界、テラビシアについて

ロープを使って森の奥へと向かう二人。

ヒロインは自身の空想力を肯定し、主人公は否定的です。
ですが、ポジティブなヒロインに促され、想像力を膨らませる主人公。
すると、そこにはファンタジー世界がありました。

彼女はその世界を【テラビシア】と名付けました。

※テラビシアと言う名前は、ナルニア国物語に登場する架空の島の名前をパクった物です(笑)

二人は空想世界と分かっていながら、その世界を受け入れテラビシアの王様とお姫様になるのです。

このテラビシア誕生以降の描き方は原作とは異なっています。

原作ではあくまで【ごっこ遊び】
映画ではCGを用いた【ファンタジー】に描かれています。

もちろん、本質的にはごっこ遊びに違いありませんが、妄想ではないことだけは確かです。

そこにこの映画の夢を感じるところです。

空想と現実の中間的な立ち位置と表現してもいいかもしれません。

テラビシアは彼らにとっては現実と向き合う訓練場・視聴者にとってはノスタルジックな光景

彼らは学校では苦労の連発です。

そして、テラビシアという二人だけの空間で現実世界に似たキャラクターたちと戦うことになります。

そう、テラビシアは現実逃避する場所ではないのです。
現実と向き合うために練習場。それがテラビシアなのです。

本作に共感できる所はまさにそこです。
現実逃避のための都合の良い世界ではない。現実と向き合うために彼らなりの試練の場の一つ。

テラビシアは空想で自由に作り替えることを彼らは好みません。
都合のいい武器は登場しますが、あくまで戦うのは主人公たち。

そして、もう一つは視聴者にとってはとてもノスタルジックな所ということ。

これはゲーム等が普及し始めた世代以前の方々が共感できると思います。

ゲーム機がなく、外で遊ぶしかなかった頃の世界観で育った世代にとって、二人の生き方に懐かしさを覚えるところがあるはずです。

二人が空想をしてごっこ遊びをしたり、秘密基地を実際に作ったりと、ノスタルジック的側面の強い映画であると私は考えています。

20世紀少年や大人帝国の逆襲等の映画が好きな方であればおススメの作品です。

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主人公とヒロインの仕返しが意外とえぐい

上級生からの理不尽ないじめを受けている主人公たちはテラビシアで培った勇気と知恵で現実世界で行動を開始します。

上級生のいじめっ子の女子生徒に偽のラブレターを仕込ませ、罠にかけるというえぐい作戦に出ます。

そして、気持ちがいいほどに罠にはまる上級生の女子生徒。
好意を持っていた男子と両想いと勘違いさせられ、見事振られるという展開。

結果的に作戦は大成功しましたが、主人公たちは自分たちの行った行為に対する現実を直視するのです。

このことをきっかけに、いじめっ子の上級生女子は同級生からハブられ、孤立するのです。
また、その女子生徒は両親から虐待を受けており、暴力的な行動でした人と接することができないことを主人公たちは後に知ります。

ですが、時すでに遅く女子生徒は完全孤立と化し、味方が誰もいない状態です。

この時のシーンは結構胸をショックで、いかに現実世界が残酷であるかを物語っています。

まさかの悲劇とそこから学ぶこと

学校生活とテラビシア生活が順調になり、二人の距離もどんどん縮んできた時、事件が起こります。

主人公は憧れの音楽の先生から美術館巡りのお誘いが来ていました。主人公はヒロインとのテラビシアの冒険より、先生からのお誘いを選びます。これが悲劇の始まりです。

帰宅した主人公は両親からどこへ行っていたかを問われました。そして、親友であるヒロインが川へ転落し溺死したことを告げられます。

まさかのヒロイン死亡というお涙頂戴展開です!

このシーンは悲しむというよりショックの方が大きいと考察しています。

テラビシアにいくためのロープが切れてしまったことが原因です。

二人をつないでいたロープが逆に二人を引き裂いたという展開は中々に残酷です。

健康体のヒロインが突然死んでしまう。あまりに急な展開であり、二人の物語はこれからだろう!と言うタイミングでのヒロイン退場はなかなか挑戦的です。

唯一の理解者を失った主人公の心情は目を見張るものがあります。

ですが、この映画はヒロインが死んじゃったエンドで終わる作品ではありません。

これがきっかけで主人公は学ぶことがありました。

主人公が学校でトラブルを起こし、担当教師に連れ出されるシーンが一つ。
担当教師はヒロインの人間性をよく理解しており、評価する場面に変わります。

ヒロインは学校では浮いていましたが、決して理解者がいなかったわけではないということ。

ヒロインのポジティブさは同級生には理解されることはなくても、教師たちはしっかりと彼女を評価していたことがここで明かされるのです。

また、主人公が同級生の別のいじめっ子たちに嫌がらせを受けた時、自分たちが罠にかけた上級生のいじめっ子の女子生徒が主人公を助けるシーンもまた衝撃出来でした。

ヒロインは自分が罠にかけた女子生徒と密かに交流しており、真摯に彼女に向き合っていたことも分かります。

けれど、主人公はまだヒロインの死を受け入れられません。

お葬式のシーンでも、主人公は憧れの先生に対し「今度はヒロインと三人で博物館へ行きましょうね」と言っています。

この状態で主人公はテラビシアへ向かいます。
それはテラビシアに向かえば、ヒロインがいるのではないかと思ったからです。

このシーンは視聴者もそう思ったはずです。

ですが、そこへヒロインがかつて言っていた【ダークマスター】が現れます。
闇の支配者がテラビシアに現れる。主人公は怯え、逃げまどうのです。

しかし、主人公の前に現れたのはダークマスターではなく、実の父親でした。

ここで分かることは、主人公にとってダークマスター(ラスボス)は他でもない父親だったということ。

もっとも中の悪い父親が現れ、動揺する主人公。

しかし、父親はそんな主人公を抱きしめ慰めるのです。

そこにはダークマスターの影はありません。息子を心配する純粋な父親がいるだけです。

その優しい現実を理解した主人公はようやく涙を流し、後悔の念に苛まれます。

「あの時、ヒロインも誘って博物館へ行っていればこんなことにはなってなかった」と。
主人公は憧れの先生と二人っきりで博物館へ行けることを優先し、ヒロインを置き去りにしたことを激しく後悔していたのです。
実に男の子らしい理由です。

このシーンもまた心を鷲掴みにされるような感覚で私は視聴していました。

ですが、間違ってはいけないことがあります。

この上記のシーンの意味とは一体なんでしょうか?

その答えは【見ている人は必ず見ている】ということです。

折り合いの悪い父親も実は主人公のことをしっかり見ていたこと、学校の教師たちもヒロインのことを見ていたこと。けれど、同級生たちは主人公たちを理解しようとはしなかった。

これは、評価されるべき人が評価されず、けれど理解している人は必ずいるという社会の構造を意味していると私は考察しました。

ただのお涙頂戴映画ではないことは確かです。

最後のラストシーンが一番の問題点

実は、大学時代に私以外にも何人かの同級生たちがこの映画を視聴しました。

その結果、私以外の生徒たちはラストシーンに文句を言っていました。

そのシーンを説明すると、

ヒロインの死を受けれた主人公はテラビシアで一人葬式を行います。
その時、実の妹がテラビシアの森に来ていることが判明します。

主人公とヒロインだけの秘密の場所に妹がやってくるという空気の読めない展開。

主人公は妹を追い返しますが、後に彼女も主人公に匹敵する空想力があることが判明。
妹も主人公たちのテラビシアが見えていたことが分かったのです。

そこで、主人公はテラビシアに容易に渡れる橋を作るのです。
これが【テラビシアにかける橋】のタイトルの伏線回収となります。

そして、主人公は妹をヒロインに代わってテラビシアのお姫様にするところで物語が終わります。

このラストに私以外誰も納得していませんでした。

挙句の果てには、とある映画評論家も同じ結論を出していて私はとても残念に思いました。

確かに、妹が新たなテラビシアのお姫様と言うエンディングも結構唐突だったと思います。

この映画を見た人のほとんどが【ヒロインの復活】を望んでいたはずです。

その気持ちは私にも分かります。それだけヒロインのキャラクターは誰でも共感できてしまうくらいの完成度の高さだったからです。

ですが、【ヒロインの復活】がなぜなかったのかについて私が解説します。

ヒロイン復活が無かった理由とは?

テラビシアは空想の世界。そこではヒロインは生きていて主人公と再び冒険を始める・・・・

この展開を望んでいた視聴者は多かったと思います。
けれど、それが絶対にありえないことを二つの理由で説明します。

①この物語は原作者の息子に起こった出来事をモデルにしていること。

原作者の息子さんにはガールフレンドがいたそうですが、事故で無くなった事実があります。
つまり、この小説は息子さんがモデルということです。
原作者は自身の息子さんのためにこの小説を書いたと聞きました。

それは落ち込んでいる息子さんを勇気づけるために制作された小説であり、同時に現実を受け入れるために作られたと推測できます。

もし、小説内でヒロインが生きているなら、それは現実へと否定であり、偽りの希望です。

だから、原作者は死んだガールフレンドを蘇らない事を教えながら、作品そのものの思い出としてこの小説を作ったのではないでしょうか?

ガールフレンドが生きていた証としての小説。

これは私の想像にすぎないため、決定的な理由にはなりません。
異論反論は受け入れます。

②テラビシアは現実逃避の世界ではない

テラビシアは二人だけの空想の世界です。
ですが、決して現実逃避の世界でもなければ妄想の世界でもありません。

ここを理解していない人が多すぎる。
私は大学時代に非常に残念だと思いました。

テラビシアは現実と向き合うための訓練場。そして、遊び場でもあります。
主人公たちの夢が何でも叶う世界ではないのです。

死者は蘇らない。受け入れるしかない。

これは現実世界でもテラビシアでも絶対の真理です。

だから、主人公はテラビシアで一人ヒロインを弔っていたのです。死を受け入れるために。

そんな中で、テラビシアでお姫様のヒロインが登場したらなそれはもはやホラー映画。

偽りの感動を与えるかもしれませんが、紛れもなく陳腐な作品となってしまいます。

まとめると、元々は原作者の息子のために作られた物語のため、ヒロインの死は避けられなかったこと。そして、死を受け入れるという強いメッセージがこの映画には込められているから、ヒロインの死は避けられず、復活はあり得ないのです。

総括

この作品はディズニー映画でありながら、厳しい現実社会を描いた作品だと思います。

私個人的な評価は基本的にかなり高い映画です。

欠点を上げるなら、CGがきれいすぎて、テラビシアという世界のファンタジー色が強すぎることが挙げられます。ファンタジー色が強いですが、大冒険と言うほどのことはしないのが本作。

ファンタジー向けCGの完成度が高すぎるので、どうしても大冒険を期待してしまいがちな作品です。

ですが、本作はファンタジー色が強いながら限りなく原作に忠実に描いています。

制作陣たちのテラビシアにかける橋という作品に対するリスペクトを感じます。

※本作の原作は学校の国語の教科書に取り入れられているそうです。

あとがき

もし、テラビシアにかける橋を商業的に成功させるなら、本当にファンタジー色にして、テラビシアで命を懸けた冒険をしながら、学校生活を送る冒険ファンタジーにした方が良かったのではないかと思います。
※売れるかもしれないけれど、きっと駄作!になったと思います。

実際、youtubeのmad動画で、ヒロインが生きている世界線の動画がいくつかあり、ヒロインの人気が伺えます。

今日は以上です。

ご視聴ありがとうございます。

本作はかなりのおすすめ映画ですので、一度視聴してみてください。

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