どうも。
生徒たちの部活動によるスケジュール調整に苦しむ野川太郎です。
今日は私が勝手に提唱した(つもり)の【部活不要論】について語っていきます。
そもそも部活動のメリットとは?
私個人の意見ですが、部活動にはいつかの利点があると考えています。
部活不要論を唱える前に、まずは部活動のあり方を確認しましょう。
①勉強以外を学ぶことができる
学歴社会である日本ですが、勉強だけしていればいいという考えは間違っているを私は思います。それでは人間としての成長は望めないからです。
多くの体験を積むことに教育の意味がある。
そう考えれば、部活動の意味は十分にあります。
各種運動を始め、文化的な内容にも触れる機会を、税金を投入して行うことが部活動です。教育の一環として勉強以外に触れる・またその部活動を通して別学年の生徒たちとの交流も体験できる。
部活動には大きなメリットがあると私は思います
②部活動をある程度極めることができる
これはどういうことかと言えば、スポーツに例えると分かりやすいです。
仮に運動部で全国大会等での成績を残せれば、その分野での大学推薦や最高で仕事として活用できる可能性があるということです。つまり、プロ選手として活躍する機会があるということ。
実際に、部活動から仕事に結びついた大勢の選手は数多くいます。
これも、部活動があったからこその結果であると私は考えます。
多くの有名選手を日本が排出できたのも、部活という制度があったからこそ。
そこは評価する必要があります。
③勉強からの解放(ガス抜き)
集団での勉強は基本的に大変です。それは生徒・教師どちらもです。
もし、部活動がなければ鬱屈した生徒が非行に走る可能性は十分にあります。そのためのガス抜き方法が部活動であると私は考えます。
昭和の時代に、不良・ヤンキーが発生しそれをある程度抑制できたのは部活動があったかだと聞いたことがあります(正確ではありません)
長時間の勉強に対するフラストレーションを解消させるため、部活動がある。理にかなっていると私は思います。
ここまでが部活動の長所
と、ここまでは部活動の評価ポイントを書きましたが、それを上回る否定的な内容を私は所持してきます。
次からは部活不要論について語っていきます。
部活不要論について
ここまで、部活動の利点を語ってきました。けれど、私はそれでも部活は必要ない(部活不要論)を信じている人間です。
それでは、部活動の欠点を上げていきます。
①部活動の恩恵を実際に受ける人間は非常に少ない
上記に上げた利点の恩恵を実は約9割の生徒は受けていないということです。
例えば、実際にプロとして活躍する生徒はごく少数です。ほとんどの生徒は部活動は思い出として終わりを迎えます。
言い換えるなら、実社会であまり役に立たないということ。
実際にプロになろうとする人が部活動に時間を掛けることは間違っていません。問題は、部活動で割り切りたいだけの生徒にとって部活動に時間を奪われることは害悪でしかないからです。
仮に私が運動部に在籍していたとしても、私はその部活をただ楽しみたいだけで、本気でやりたいとは思っていません。むしろ、楽しくないし時間だけ理不尽に奪われるからです。
結論として、約1割未満の生徒を除く大半の生徒たちにとって、部活動は生産性がまったくないということです。
約2年半部活動をして、彼らは何を得るのでしょうか? 毎日の練習の日々に一体どんな価値があるのでしょうか? 私には理解しかねます。
部活動を完全に遊びとして割り切っているならありだと思います。けれど、彼らは部活動であそんでいるのではなく、練習をしているのです。スポーツ等を楽しむこと と、練習する毎日は違います。
楽しくてしょうがないなら私は何も言いませんが、大半の生徒は義務的に部活をしているだけです。
私は塾講師をしているので、生徒たちの生の声をよく聞きますが、本当に時間の使い方が下手だなと思います。
②休日を送る権利のはく奪 (部活動 ≧ 勉強)
部活動での進学を望む生徒やプロを目指す生徒にとっては部活動は天国かもしれません。
けれど、そうではない生徒にとって部活動はかなりの足かせとなります。
例えば、ゴールデンウィークにも関わらず部活動があるという謎の現象がいい例です。
学校が休み=勉強お休みのはずなのに部活動はさせるというこの現象。家でゆっくり休む時間を奪ってまで部活をさせる意味が分かりません。まさにブラック部活の思考です。
ゴールデンウィークに限らず、長期休暇時に部活をさせるメリットを私は教えてほしいくらいです。
進学校の目標が進学であるならば、勉強や宿題を休暇中にさせる気持ちはまだ理解できます。けれど、9割の生徒にとって生産性ゼロの部活動をさせることは、彼らの休みを奪うこと。つまり、休日の権利を奪っていることにつながります。
働き方改革が聞いて笑うところです。
③練習試合や遠征は生徒にとって負荷が大きい
まず、練習試合では他校へ移動する可能性があり、時間と体力を大幅に奪われます。そのため、進学校で出される課題や勉強時間も奪われ、学力低下につながる可能性もあります。
実際に、成績がつけられるテスト前後に大会や遠征があると、勉強する時間を奪われ、点数がとれなかった事例はいくらでもあります。
部活の大会運営者たちは、彼らのテスト期間をもう少し尊重してスケジュールを組むべきです。けれど、それがまかり通っているのが現状です。
勉強に著しく支障が来てしまっては意味はないのです。
勉学を安定的にするためのガス抜き的目的が部活動であるにもかかわらず、部活動がストレスの元を作り、勉学の邪魔をしていることがもはや矛盾している。
一番恐ろしいのが、高校3年生の受験シーズンに入っても部活動が続くことです。
野球部等は甲子園出場が途絶えた段階で引退となりますが、ラグビーや吹奏楽部などは9月以降も続くのです。
とても受験勉強ができる環境ではありません。
学校は生徒の未来を奪いたいのでしょうか?
④部活動をする・しないの自由がない
特に運動部に多いでしょうが、基本的に部活動は休めません。それは部活動内による同調圧力が原因の一つです。
例えば、勉強時間を確保したく、特定の曜日を休もうとした際、果たしてその部活動の生徒や顧問たちはその提案を受け入れるでしょうか?
多分、無理でしょう。同調圧力に屈しない曲げない精神の持ち主でなければ、嫌でも練習に参加せざるを得ない。
私は好きに休む権利を与えるべきだと考えていますが、部活動はそれを許しません(例外はあると思いますが)
何もえるものがなく、ただ練習に強制参加させれられる毎日。思考停止で疲弊させる部活に果たして価値はあるのだろうか?
⑤費用対効果が非常に悪い
あれだけの労働をさせておきながら、9割の生徒たちは何も得るものがありません。未来への投資でもなければ、給料が出るわけでもない。彼らは半ば奴隷のように部活をさせられている。
大会等でも、生徒たちが大会運営に駆り出されることがあります。何かの審判や片づけ等。
けれど、彼らには一銭もお金が支払われることはありません。これっておかしくないでしょうか?
人を使うのですから、それなりと対価を要求する権利が生徒たちにはあります。けれど、運営する大人たちは子供たちをただで働かせている。
休日を返上し、勉強時間も捨てて部活動をする。部活動にそれだけの価値があるのでしょうか?
いいえ。ありません。これはただの搾取です。
この状況がブラック企業を作り出していると言っていも過言ではない。
⑥同級生たちと遊ぶ時間・休日を過ごす時間を奪っている
私が指導している生徒たちが、プライベートで友人たちと遊ぶ時間が正直ありません(自称進学校のみ)けれど、唯一同級生たちと食事に出かけることが可能な日があります。
それは皮肉にもテスト期間中です。
どういうことかというと、テスト期間中は部活が停止し、そしてテストが開始されると午前中で終わります。そして、午前中のテストが終わるとその午後に遊びに行くのです。
これっておかしくないですか?
普段の土日は部活動があったり宿題が山のように出るために外出する生徒はいません。けれど、テスト期間で次の日が休日である金曜日に生徒たちは遊びます。
そのため、私はテスト期間中の金曜日は指導を入れません。正確には生徒たちが嫌がるからです。
テスト勉強を頑張ってほしいのに、友人たちと遊びに行ってしまう。
生徒たちと遊びに行くことは全然いいのです。けれど、それが可能なのがテスト実施期間のみであることが問題なのです。
この原因を作っているのが、部活動です。
学校の終わりに、生徒たちで遊ぶ時間を部活のせいで奪われている。この状況が私には異常でならないのです。
私は生徒は勉強と遊びの両方を頑張り、楽しんでほしいと思っています。けれど、その中にどっちづかずの部活動が入るため、生徒たちは遊ぶ時間が限られています。
部活動=遊び なら私は何も言いませんが、そんなはずがありません。
⑦休日の過ごし方を学べない
社会に出ると、仕事とプライベートの両立を要求されます。つまり、いかに休日を楽しく過ごすかで人生の幸福度は変わっていくかということ。
けれど、学生時代に部活ばかりしていた人たちは、正しい休日の過ごし方を知らないまま卒業し、大人になっていく可能性があります。
休日、何もすることがないという悩みは、この部活が影響している可能性があるのです。
実際、生徒に休日(部活が無い前提)は何をして過ごすか聞くのですが、宿題を消化するかyoutubeを見るか寝るだそうです。
友達と一緒にどこか出かけろとは言いません。youtubeを見るなとも思ってもいません。
私が言いたいことは、好きなことをすることと暇つぶしは別ということです。
休日の過ごし方をしらないまま大人になった時、何をしてすごせばいいか道に迷う可能性があります。大好きなことを見つけていればいいのですが、自分の休日を部活動に奪われた毎日の中で、趣味を見つける方法を知らないまま育つことはとても恐ろしいと私は思います。
そもそも、部活動っていらなくないか?
私は部活動を一応体験してきましたが、何のメリットもなかったと思っている人間です。
そもそも、インターネットが普及し、無料媒体の増加による娯楽過多のこの時代に、部活動の強制化は時代遅れだと思います。
昔は娯楽に乏しく、勉強をごり押しされました。そのためのガス抜きであったのが部活動です。けれど、現代は無数のガス抜き方法、つまり娯楽が無数にあるのです。
部活を完全になくす必要はないのかもしれませんが、無意味なごり押しをするなら、むしろ無くした方が生徒たちのためであり、同時に顧問の先生のためでもあります。
部活動はこうあるべきだ!
まずは、部活動の強制加入を無くすべきです。生徒に選択をさせるのが、人としての権利であると私は考えます。
また、部活動は自由参加にするべきであると考えます。つまり、休みと出勤は生徒の自主性に任せるということです。けれど、同調圧力という名の見えない力があるため、こちらは難しいのかもしれませんん。実際に、参加は自由だといいながら、無言の圧力で自主練させる部活動の話を聞きます。
それでも、部活動を自分の意思で休む生徒もいました。
いずれ、そういう時代が来ることを私は願っています。
なぜ、私が部活不要論を勝手に唱えているのか?
私が部活不要論を唱えた理由はいくつかあります。
上記のような理由ももちろんですが、私個人の恨みも入っています。
中学時代に部活動が強制となったときから違和感を覚えていました。それじゃあ、平日の学校終わりに同級生たちと遊べないんだ~と。それっておかしくないか?
これは中学時代から今までずっと抱いてきた疑問です。
私は何の才能もありませんので、部活動で何の結果も出していませんし、いい思い出はありません。正直、部活動なくても何の問題もありませんでした。
もちろん、これは私個人の主観的な意見にすぎません。
けれど、塾業界に入って、部活動のせいで生徒たちが勉強できない、指導の妨げになっている光景を何度も目にしてきました。
どうして、この日に部活の試合を入れるんだ? 何でテスト期間なのに部活が停止にならない?
そんな理不尽を常に目の当たりにするのが、この業界です。
だから、私は改めて【部活不要論】を押します。
今日はここまでにします。
また、別の投稿でこの部活不要論の必要性を上げる予定です。
そのときはよろしいくお願いします。
ご視聴ありがとうございました。
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