石川県のコテージ・ハートランドヒルズin能登で一泊(大学時代の同窓会②)

日本

どうも。前回のブログの続きを書くのに期間を開けてしまった野川太郎です。

今日は、石川県の旅行の後編。大学時代の友人たちとの同窓会についてお話します。

前回の兼六園観光は下記のURLからどうぞ。

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これまでの簡単な経緯と金沢城を後に・・・・

前回のブログでも記載したと思うのですが、ワーホリの準備の際に、フェイスブックのアカウントを作成時、大学の同期とつながり、そこから同窓会に参加することになりました。

この同窓会は同級生の一人であるS君が中心となって毎年行っていたそうです。

私も一度誘われたことがあったのですが、連絡をするのを忘れ、それ以降疎遠になっていました。

彼らの数人は私がワーホリでオーストラリアに滞在していたことを知っているので、その時の話をしなくてはならないという謎の使命感が私にはありました。

それもあったので、緊張とわくわくの両方を抱きながら、金箔ソフトクリームを食べていました。

すると、S君から連絡があり、予定より早く森本駅に来てほしいとのことでした。

私の当初の予定では、13時45分頃までに私が森本駅へ向かい、S君が運転する車に乗る手はずになっていましたが、13時15分頃に変更になりました。

これは別の県の駅、糸魚川駅で他の同級生たちと合流ができ、早めに私を回収することができたからです。

私は一瞬焦りました。金箔ソフトクリームをゆとりある状況で食べていたからです。もちろん、当初の予定にも間に合うように。

しかし、彼らを待たせるわけにはいかなかったので、私はその提案を承諾し、金箔ソフトクリームを急いで食べ、金沢駅行きのバスをグーグルマップで探し始めました。

そして、ちょうどいい時間のバスを見つけ、バス停まで若干速足で金沢城を後にしました。

これで、私のボッチの石川県旅行の前半は終了です。

金沢駅から森本駅へ

バス停までの移動はかなりの炎天下で、こまめに水分を補給しながら移動していました。

そして、目的のバス停に到着し、次のバスを上部に設置してあったパネルで調べていました。

すると、金沢駅行きのバスが到着し、それに乗車しようとしました。

けれど、バス内の乗務員さんに「このバスは金沢駅周辺を一周するバスで金沢駅へ向かいたい人は次のバスの方が早く到着する」と言われ、私は慌てて下車しました。

乗務員さんの呼びかけは結果的に正しく、そのバスが出発するとすぐに別の金沢駅行きのバスが来たのでそれに乗車し、すぐに金沢駅に到着しました。

乗務員さんの対応から、いつもその周回バスに乗って金沢駅を予定より遅い時間に到着する人が多いのだと感じました。

無事に金沢駅に到着した私でしたが、集合場所の森本駅へ向かう前に他にやることがありました。

それはお土産の購入です

私は基本的におみやげを購入する人間ではありません。ワーホリで大量のTIMTAM(チョコレートのお菓子)を日本に持ち帰ったくらいで、普段はお土産は買いません。

ですが、働いている塾の塾生にお土産を必ず購入するよう脅されたのでしぶしぶ購入することになりました(笑)

なま物は傷む可能性があったのでサブレ系の物を考えていました。

昔、母親に頼まれて購入した「松井サブレ」があればそれを買う予定でした。

※松井サブレとは元巨人の野球選手だった松井秀喜選手をモチーフにしたサブレです。

ですが、駅内では10年以上前の商品は流石になかったので、別のサブレを二箱購入しました。合計で約3000円だったと思います。

家族の分と塾への分はこれで足りると考えたからです。

それを購入後、店員さんに郵便場所を教えてもらい、指示された場所でお土産の郵送手続きを行いました。確か、郵送代(袋代も含む)で800円くらいかかった記憶があります。

そして、今度は反対側の西口方面に行き、荷物を保管していたロッカーにたどりつきました。

※ここで一つミスに気づきました。最初、ロッカーを探していた時、金沢駅の西口に大型ロッカーを発見したのですが、私がバスに乗車するのは東口。そして、東口にもロッカーが常備されていたことに私は気づきませんでした。つまり、移動時間を少し無駄にしてしまったことに気づきました。

何はともあれ、荷物を回収、お土産の郵送を無事に終えた私は森本駅への切符を購入し、改札口へ向かいました。

この時、時間には余裕がありましたが、何が起こるか分からないため森本駅へと向かうことにしました。

電車の改札口へ向かい、無事に電車に乗り込むことができました。

森本駅は2,3駅先にあるので直ぐに到着します。

そして、指定の時間で電車は金沢駅から出発しました。

電車内は心地よい冷房がかけられ、また多くの学生が乗車していました。

この時、私は過去の記憶が急に蘇ってきました。

大学4年生の頃、就活で一度この路線を使用した時の記憶です。

私は就活が本当に嫌いでしたが、石川県内の会社に面談しに行ったことがあります。

その時、この列車を使用し、同時に学生が多く乗車し、楽しそうにしていた光景が今の光景と重なり、懐かしさと、少し鬱になりました(笑)

この列車に本当に何も変わらないなぁ・・・

そんなことを考えながら、窓枠に映る景色を眺めていました。

その景色もまた懐かしく、同時に辛くなりました。

※私の大学時代については深堀はしませんが、結論から言いますと決して楽しい学生生活ではなかったことだけは伝えておきます。ただ、友人たちには恵まれていたことも事実です。

そして、10分前後くらいで森本駅へ無事到着しました。

S君と再会。コテージへ向けて出発!

森本駅に到着すると、集合時間まで結構時間が空いてしまいました。

また、この駅の規模は決して大きくないため、エアコンがついておらず、トイレと自動販売機と椅子があるだけでした。

これはこれでよかった私はとりあえず、椅子に腰かけ休憩することにしました。

ラインでS君にこの駅の東口で待つよう言われ、その間に自動販売機で飲料水を購入したり、反対側の西口へ軽く散歩したりしながら時間を潰していました。

そうしていると、駅の東口方面の窓枠からイオン金沢店が見えました。

大学時代、よくイオン金沢店へ出向き、映画を見に行ったことを思い出し、懐かしさをまた抱いてしまいました。

あの当時、海外ドラマや映画にドはまりしており、暇があればそれらを見てばかりで、他の場所へ出かけなかったことなどを後悔しています。

そんな感傷に浸っていると、約束の時間になり、私はその駅の東口をエレベーターで下り、外で待機。

7月の中頃だったので、日陰で待機して10分後くらいにS君が運転する車が到着。

私の荷物を荷台に乗せて、私は彼の車に乗車。すると、S君とは別に二人の同級生が車の中に乗っていました。

私は空いている席に座り、そのまま目的地のコテージへと向かうことになりました。

コテージまでの移動時間での話

コテージまでの移動時間、私を含めた4人で互いに進捗報告していました。

仕事の話や結婚、子供等々。

10年ぶりの再会で皆色々変わっていったことがどこか切なく感じました。

けれど、それ以外に関しては彼らは何も変わっていませんでした。見た目や趣味は昔のまま。

しかし、一つだけ問題がありました。

私は後部座席に座ったのですが、隣にいる同級生を全く知らないのです。

実はこの集まりはS君と親交があった人達で構成されています。

本音を言えば、一枚岩ではなく、いくつかのグループに分かれていて、私は隣座席の人とは全く違うグループだったので面識が全くなかったのです。

その結果、あたかも隣の同級生と親しい感じで私は会話をしていたのですが、さすがに限界がきて、本当のことを車内で言ってしまいました。

「俺さ、実は初めて彼と会話するんだけど」

それを聞いたS君と隣の同級生。

彼らは驚いていましたが、隣の彼も同意見でした。

とは言え、特別問題があるわけでもなく、気まずさがないまま会話が続いていきました。

実を言えば、話したことがない人は他にもいました。

S君が専用のグループラインを作ったのですが、何人かは話したことがない、もしくはほとんど話したことがない人がいました。

けれど、不思議なものです。大学時代に一度も会話したことが無い人と今になって交流することができる。大学時代の自分はいったい何をしていたんだと。

そんな後悔を抱きながらも車の窓枠から眺める海はとても綺麗でした。

今でこそ、趣味でサップを楽しんでいる私ですが、大学時代は一度も海に出かけたことがありませんでした。本当にもったいないことをしたと反省しています。

その後、目的地のコテージの受付を一度済ませてから再びコテージへと向かい、無事に到着しました。

コテージ内に到着後

コテージに到着し、室内へと足を運ぶとすでに2人の同級生がバーベキューへ向けて準備をしていました。

この二人とは会話をよくしていたので顔を見ただけですぐに分かりました。特に通称きんに君は数学が異常に強く、私や他の同級生たちがよく彼に問題を教えてもらったりしていました。

彼らはS君同様にこの同窓会の主要メンバーのため、何をするのかを熟知していました。

今回が初めてだった私は何をすればいいのか分からず、とりあえず荷物等を移動することにしました。

奥へ進むと畳の部屋があり、今日はここで寝るんだとすぐに気づきました。

室内はとても広く、このコテージは基本的に定員10名までですが、最大15人は収納可能でした。

荷物を置き、食事等の準備は彼らに任せ、料理下手な私は外の掃除をすることにしました。

外の椅子や机がゴミや鳥のフンが多かったため、S君からもらったアルコール消毒のシートで掃除をしました。

箒で大まかなゴミを掃いて、細かい汚れを除菌アルコールシートで清掃。これが意外と時間がかかりましたが、無事にすべてがきれいになりました。

もし、ここを利用するときは掃除等から始める必要があります。もちろん、それをするだけの楽しみは保証します。椅子の座り心地や自然豊かな光景は私を自然とリラックスさせてくれました。

ウィッグ付き帽子をかぶってきた同級生

私が一番困惑したことは、とある同級生がウィッグ付きの帽子を被って私たちを出迎えてきたことでした。

それ自体は何の問題もないのですが、実は彼は脱毛症によりほぼ髪の毛がないということでした。

髪の毛が無い彼が金色のウィッグ付き帽子を被って現れた時、私は対応に困ってしまいました。

脱毛症のことはかなりデリケートなことです。そのため、私を含めた同級生たちはどう対応すればいいか分からなかったのです。

実は彼は金髪付き帽子についてツッコミを入れてほしかったというのです。頭皮のことはそれなりに吹っ切れており、「金髪に染めたんだ。にやってんじゃん」とノリツッコミ的な展開を望んでいたとのこと。

私はこの集まりの前に、コロナ前に私以外で集まった彼らの集合写真で彼の頭皮のことを知ってしまっていたので、正しい対応ができなかったのです。

もし、その写真を見なければ、いい感じにツッコミを入れていたかもしれません。そして、彼が帽子を取ってその頭皮に私が驚く。

その展開をさせて上がられなかったことを私は深く反省しています。

来年にまた集まるときは、ノリツッコミをするつもりです。

サメマゲドンというゲームに挑戦

関西方面のメンバーの到着が少し遅れていました。

それは3連休による渋滞が原因でした。

その間、時間ができた私たちはとあるカードゲームをプレイすることになりました。

その名はサメマゲドン

誰が用意したかは分かりませんでしたが、気がつけばこのゲームをプレイしてたのです。

このゲームはサメ映画をモチーフにしており、自身のサメを強化し、人間を襲ってポイントを稼ぐカードゲーム。

けれど、一つ問題がありました。

誰もこのゲームのルールを知らないのです。

後でみんなとプレイするつもりだったのかもしれませんが、私やきんに君、その他の同級生たちはルールを必死に理解しようと説明書と格闘していました。

けれど、こういうカードゲームのルール説明書は非常に分かりにくい(私見)

youtubeでサメマゲドンをプレイしている動画を見ながら少しずつルールを理解してきましたが、細かい所が分からないままでした。

すると、関西方面からのメンバーは増えていき、懐かしいメンツが勢ぞろいしていきました。

その中に通称パナ君がいました。

彼は成績優秀スポーツ万能な同級生でコミュ力も抜群の同級生。基本的に頭が非常によく、誰とでも会話ができる人です。

私が持っていないものをすべて持っています(笑)

おまけに英語も堪能です。これはもう嫉妬すらできません。尊敬の域です。

パナ君はサメマゲドンのことを知っており(基本的に何でも知っています)プレイ方法を色々と説明してくれました。

本当に彼は何でもしっているなぁっと10年ぶりに思いました。

サメマゲドンは結局中断し、皆で会話を楽しむことにしました。

そして、残りに関西方面のメンバーもやってきて全員集合となりました。

空気の読めたN君

最後に到着したN君。彼とは大学時代親しくしていました。顔は変わっていませんでしたが、中年太りが私よりひどく、少し驚いてしまいました。

けれど、脱毛症も同級生のウィッグ付き帽子ネタにしっかり乗ってくれたのは彼だけでした。それで場が盛り上がり、緊張感が完全に抜けていきました。

音信不通の同級生たちについて

私は今回の集まりで気になっている同級生が3人ほどいました。

そのうちの一人は別のグループでつるんでいるらしく、この集まりには基本的には参加しないとのこと。

二人目は私と仲がよかった同級生でしたが、大学院に行ったのですが、その後完全に音信不通になってしまい、S君からもその話はしないようにとくぎを刺されました。

そして、3人目の同級生。

彼とは大学卒業後、まだガラケーを使用していた時に長電話をしたことがあり、この集まりにきてほしかったのですが、S君曰く メールは送っているが返信がないとのこと。

私は妙に彼のことが気になり、ガラケー時代からの電話番号が残っていたのでダメもとで電話をかけました。

すると、普通につながり、眠そうな彼の声が聞こえてきました。

夜勤明けの睡眠中だったらしく悪いことをしたと反省しましたが、普通に連絡が取れてよかったでした。

その後、S君に電話を替わってもらい、事情を説明してもらいました。

彼は今回の同窓会には仕事で参加できませんでしたが、来年誘ってみるつもりです。

もっと早く私が連絡すれば会うことができたと思うとまた一つ反省点が増えてしまいました。

夕食のバーベキュー前に会話を楽しむ

人数が約15人もいたため、一定数の人数の同級生たちが働いてくれたため、私は無駄に労働する必要がなくなり、夕食のバーベキュー前に数人の同級生たちと会話を楽しんでいました。

基本的には仕事と結婚、子育ての話が出ていましたが、メインはやはり仕事です。

私は塾業と少し特殊な職業ゆえ、本当の意味での社会人の生活を知りませんでした。

パナ君や数少ない女性同級生のシロさんとの会話は社会人そのものでした。

※ちなみに2人とも既婚者で子供もいます。

2人とも共通して不満を漏らしていたことは会社の上の人たちへの不満でした。リモートワーク(在宅勤務)が可能な仕事内容であるにもかかわらず、上司たちがあまりそれを許してくれないという内容でした。

特にパナ君はモノづくりの管理職系らしいので上層部たちの方との挨拶めぐりが無駄に感じるそうです。その意見には私も普通に賛成意見で、リモートで可能なものはリモートでもいいと私も思っています。

※塾の仕事もリモートは可能ですが、生徒たちが本当に勉強しているかの確認ができないことなど意外と不便な面があり、私は塾に関しては割と対面派ですが。

また、パナ君は同僚たちが仕事等で心を病んでしまっている際のサポートもしているそう。

昔から面倒見は良く、何でもできる彼にしかできないことです。

彼曰く、「一緒にどこかに飲みに出かけたり、気分転換させることくらいしかできない」とのこと。

それはそうでしょう。私たちはカウンセラーではないので。心を病んだ人に必要なのは同情ではなく、孤独にさせないことなのかもしれないと私はその時思いました。

そんなパナ君も最近は仕事のストレスで蕁麻疹が出ているとのこと。けれど、鋼のメンタルの彼はそういうのを気にせず仕事をしてしまうとのこと(それは社畜なのでは・・・とは言いませんでしたハイ)

また、彼は「人間、本気を出せば出来ない仕事なんてない!」とも言っており、出来ないことしかない私からすれば「やっぱり社畜だな・・・・」と思ってしまいました。

大学時代の認識のズレを自覚

私の大学時代は苦悩そのものでした。

大学の勉強についていけず、単位は取得するが肝心の本質が掴んでいない。

しかし、彼らは違いました。私が思っていた以上にキャンパスライフを楽しんでいたそうです。

パナ君はキツイ大学の勉強や宿題をやりながら、テニス部に所属しかつ居酒屋でアルバイトもしていましたし、シロさんは同級生の彼氏をそうそうにゲットしていたことを思い出しました。

今、思い返せば、彼らとはいつも一緒にいたわけではありません。

私たちが通った大学は共同作業する授業が多く、そこで会話をすることが多かったイメージ。それ以外の交流は他の通常授業を除けばそれほどでした。

しかも、シロさんに関してはグループが基本的に違ったので会話する機会があまりありませんでした。

そのため、彼女から「野川君はそもそも大学卒業しているの?」と聞かれてしまいました(笑)

※もちろん、卒業はしています。

だから、実はそれほど親しかったわけではないけれど、よく知っているメンツとこうして会話できている自分に驚い、そしてうれしかった。

また、彼らはポジティブ思考に対し、私はゴリゴリのネガティブ思考。

大学時代の苦悩を私が冗談交じりで話をするとパナ君からいい意味で論破されました。

「大学の勉強、ついてこれなかったもんな・・・・」なんて最強社畜の彼の前でぼそりと吐いてしまった私に対し、

「いいんだよ。そんなこと。実際勉強とか大人になって使わないけど、その経験で人は道を選べる。現に野川はその経験で塾講師をしているんだからさ」

相変わらず隙が無い解答に私は「なるほどねぇ」と納得させられてしまいました。

「って、今俺のカウンセリングになってるよ!」

とちゃんとツッコミはしましたがね。

会話は一定の人ばかりではなく、大勢の人とをコンスタントにしていました。

15人もいると会話に飽きがきません。

私は外のバーベキューの準備を確認するために外に出てそこでもちょっとした会話をたしなむ。

彼らも別の同級生たちと会話をする。

結果的にローテーションのような交流が続いていました。

同窓会特有のマウンティング合戦が一切ない素晴らしい同級生たち

今回の集まりの前に私は一つ懸念を抱いていました。

それはよく話を聞くマウンティングです。

どこの会社入った? 結婚した? マイホームは? 年収は? 的なやつです。

これらのマウンティングされた際、一番ダメージがあるのは他でもない私です。

そして、マウンティングを一番しそうだったのは他でもないパナ君です。

大学時代、能力値が高すぎた彼は無意識にマウンティングする癖がありました。もちろん、意地悪でしていたわけではありませんが、私の会話を凌駕する話を必ずしてきて、流れを折られた記憶が多数ありました(決して悪い奴ではありませんし、それ以上に助けてもらったことも多々ありました)

ですが、上記で話したように、彼はそんなことは一切しませんでした。そして他の誰もそういったことはしない。とても民度が高い同級生だったのだと改めて実感させられました。

むしろ、そのような心配をしていた私が情けないとさえ思いました。

ただ、体形イジリだけはどうしようありませんでした。

頭皮の話はしませんが、私を含めた一定数は中年太りが顕著にみられました。

顔はそれほど更けていないのに体形がぽっちゃりと。

それを女性のシロさんに指摘され、私はかなり凹んでしまいました。16時間ダイエットを年末からサボってしまい、10キロ太ってしまったのです。

しかし、ここでまた理論武装したパナ君が応戦

「年齢を重ねるごとに筋肉が衰えて、垂れ下がってくるのはどうしようもない。ジムに通って筋トレする時間がない人は特に」

まあ、私の場合は夜遅くに仕事が終わり、その後炭水化物を無駄に取り過ぎたのが原因なのですが(それは内緒です)

まあ、そんな会話をするくらい皆と打ち解けられたということでした。

夕食はバーベキュー!

バーベキューは本当にいつ頃以来でしょうか?

ワーホリでオーストラリアでバーベキューする場所はあったのですが、一緒にする相手はおろか、私自身バーベキューのやり方や後片付けを全く知りません。

とはいえ、そういうことは主催のS君をはじめとする主要メンバーに丸投げすることにしました。

私はバーベキューのコンロの近くに向かうと、すでに肉を焼き始めている様子でしたので、私は慌ててその席に座り、焼き肉の回収を始めました。

主催者のS君はグループラインで事前に飲食の確認をしており、お酒が飲めない人ようにソフトドリンクも大量に用意してくれました。

私はお酒がダメなので、ソフトドリンクをがぶ飲みしながら、お肉をほおばり始めました。

一方、ウィッグ付き帽子を被って登場した同級生、通称B君。

彼は大型のバームクーヘンをバーベキューの火力を利用して作ろうとしていたのです。

大型の棒にバームクーヘンの材料を少しずつ塗っていっては焼き、その上にさらに塗っていく。それの繰り返しをしていました。

その姿はまるで、モンスターハンターで大型の肉を焼いているようでした。

また、そのバームクーヘンも見た目が肉のようで時々、焼きすぎたり、忘れたりして所々焦がしていました。

そのため、私にとっては飽きがまったくなく、とても楽しめました。

本当に彼らには感謝しかありません。

また、コンロの席に限りがあったのでコテージ私が掃除した木材製の椅子と机で肉をほおばる組と別れて食事を楽しんでいました。

また、お酒を飲んでいる人も一定数いましたが、破たんすることや酔っ払ってどんちゃん騒ぎが起きることもなく、ふざけているのに素直に楽しめる工夫されたバーベキューとなっていました。

話したことが無いY君の存在

バーべキューの最中に、一部の同級生たちが事情で来れなかった他の同級生にラインで楽しんでいる姿を見せびらかしていました。

本当は私は来れなかった同級生にも会いたかったのですがこれはしょうがない。

バーベキューも肉が減っていき(実は大量に冷蔵庫にあったことが後に判明します)無駄に野菜、特にトウモロコシが残ってしまった状態で、一人の同級生が場を常に盛り上げていました。

それがヤマ君です。

周りから意図的にいじられるキャラを演じ、場の雰囲気を上げてくれている同級生。とっつきやすいタイプで彼を嫌う人は絶対いないだろうってタイプの人。

けれど、私は大学時代、彼もまた一度も話をしたことがない同級生でした。

周りからいじられるような行動を意図的にとって、周囲を盛り上げている彼を見ていた時、「そうか、私は大学時代もっと同級生たちと行動を共にすべきだったのかもしれない」と思ってしまいました。

彼らのことを私は何も知らなかった。この同窓会で私が一番学んだことでした。

きっと、彼らは大学時代もこうやって友人たちと集まって定期的に盛り上がっていたのかなぁなど、根拠のないことを考えてしまい、少し憂鬱になっていました。

とはいえ、昔の自分ではこういった集まりを素直に楽しむほど人間ができいませんでしたので、今だからこの集まりを楽しむことができていることも熟知しているつもりです。

そんなこんなをしていると、バームクーヘンがバーベキュー終了間際に完成し、そのひと切れを私はいただくことにしました。

外側は少し焦げ臭かったのですが、中身は案外おいしかったのを今でも覚えています。

バーベキュー終了後・・・お風呂場について

お肉がなくなり、中途半端に野菜が残ってしまいましたが、バーベキューの終了です。

後片付けを終え、室内へと戻っていきました。

すると、冷蔵庫の中にお肉がまだたくさんあることに気がつきました。

私は心の中で「しまった! もっと食べれたぞ!」と叫んでいましたがどうしようもありませんでした。

そして、蒸し暑い時期の中でお風呂の時間になりました。

S君の相棒(車の前部隣座席に座っていた彼)は事前に入浴を済ませておりましたが、湯船は準備中とのことだったことと、お風呂が沸き次第、女性陣を先に入浴させることになりました。

その間、私はN君やきんに君やY君、S君たちとのトランプを楽しむことにしました。

その中にお酒が入ったシロさんが混ざり、ババ抜きや時事抜きを前半楽しみました。

その中で、一番盛り上がったのはやはり、大富豪でした。

大富豪には各地でのローカルルールがあったので、その中から我々なりのルールを決めました。

マーク縛りあり、8切りあり、革命あり、Jでの大小逆転ありで、勝利条件の中に最強の2やジョーカー、J、8で上がってはいけないというルールを決定し、試合を始めました。

序盤の試合で私たちは互いに大富豪になったり、大貧民になったりと搾取をし合う状態となり、誰かが常に大富豪という状況はありませんでした。

そんな混沌で盛り上がっている中、私は試合中約2回もミスし、自ら大貧民になる失態を犯しました。

それは勝利条件のルールを考慮せずに手札にジョーカー、2、J、8だけを残してしまうというミスです。それを二回もやってしまい、上がろうとした直前でミスに気づきました。

私のその自爆ショーは他の皆を大爆笑させてしまい、場は盛大にもりあがりましたが、私は意気消沈してしまいました(イタイぜ!)

その後、湯船ができあがったので、シロさんは先にお風呂に入り、他の同級生を補充しながら、トランプや他のグループたちとの会話や記念写真などをして過ごしました。

コテージをお風呂について

お風呂は意外と広く、体を洗う水道は3人分用意されており、お風呂の容積も二人以上は入れます。

女性陣二人を先に入浴させている間、こちらはトランプゲームは対話、余ったバームクーヘンを食しながら時間を潰し、同時に寝室について話し合っていました。

※お風呂は規約で夜10時までなのでお気を付けください。

寝室について少し議論がありました。

まず、女性陣の寝室はすぐに決め、残る男性陣たちの寝室の場所、布団の位置等の話です。

B君が「睡眠障害があるからいびきをかく人との睡眠はNG」とのことでした。

最初は笑いでやり過ごそうとしていたのですが、これが結構本気の話であると分かり、私も含めた男性陣たちは真剣に考えることになりました。

また、睡眠導入剤を飲む人も一定数いたため、この年になって皆色々抱えていることを私は自覚するようになりました。

大学時代のような若さは徐々に失われ、社会人としての責任から来るストレス等で皆、苦しんでいるんだなと。

コテージの部屋はいくつかあり、大勢で入眠するスペースもあれば個室で最大2人が睡眠できる所もありました。

そのため、この個室に布団を敷き、B君といびきをしない男性陣の一人を決めて、残りは大広間の方で睡眠するということになりました。

布団の場所やコンセントのタップ(スマホ充電用)の確認をし、各自布団をしくことになりました。

そして、女性陣たちがお風呂から上がってくるタイミングで次に入ることを宣言して着替えやバスタオルを持って風呂場へと足を運びました。

風呂場で着替えていると、関西方向から渋滞で8時間以上の運転してきた通称ヒロ君も一緒でした。

彼とは大学時代、よく映画の話をしたのでそのノリで会話は普通の弾みました。

私が彼に対し驚いたことは結婚して子供もいることは想定内でしたが、実は結構なアニメオタクだったことに驚きました。

大学時代、私は洋画や海外ドラマにハマっている一方で、他の同級生たちは日本のアニメに夢中(ガチのオタクたち)だったので話が合わないこともしばしば。

ヒロ君は基本的に映画好きだったので、大学時代に会話の相手として助けてもらいましたが、今日の同窓会で彼はアニメの方にも精通していることを今日知らされ、しかもかなりガチ勢だったことに驚きました。

とはいえ、私としては特に問題はなく、一緒にお風呂場で体を洗い、会話を楽しんでいました。

彼の趣味に対し、彼の奥さんはしっかり理解のある人で家族間での問題はないそうです。

私が一番嫌いな科目、プログラミングについて

ここで私は大学時代から一つの疑問を彼にぶつけることにしました。

私は大学時代、プログラミングの授業を受けたのですが、当時全く理解することができませんでした。

この当時はC言語++を勉強していたのですが、理解することはできず、ソースコードにいくら打ち込んでもエラーを連発するばかりでした。

そのトラウマは今でも引きずっており、書店のプログラミングの本を読んでもやっぱり理解できないレベルです。

そのことについて彼に話すと、彼もその分野はあまり得意ではなく、結論として「やっていればそのうちロボットは動くんだよ」でした。

「そんなもんか・・・・」

私はこのプログラム問題を払拭することはできませんでしたが、一つ結論が出ました。

ある程度才能がいるんだな、やっぱり・・・と。

つまり、彼らは感覚でソースコードを書くことができた。そして、私にはそれができなかった。

ここの差なのかなぁ・・・・

この同窓会のメンバーのほとんどはモノづくり系で、塾講師等の教師的な職業をしているのは私だけです。

大学時代の苦悩の原因、その決定的差はここから来たんだなとそこは腑に落ちました。

私は湯船につかるのが実は苦手で、全身汗だらけの体を温度高めのシャワーと石鹸等で洗い流し、お風呂場を去ることになりました。

そして、大人数ではありましたが、10時までに全員入浴を完了することができました。

話が長くなってしまったので、今日はここまでにします。

次のブログでは一泊した後の話、後日談について話していきます。

ご視聴ありがとうございます。

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